「九雀亭」に寄せて、全掲載分



第1回 「長短」は、私も持ちネタの一つです。
キャラクターの違う2人の登場人物を演じ分ける部分に役者として魅力を感じます。でも、シンプルな構成の噺だけに本当は腕が要るようです。 気の長い方が間抜けのように見えても困ります。性格のずれで聴かせるポイントを九雀さんはどう料理するのでしょうか?
一転、「書割盗人」(東京の「だくだく」)は、口跡の良さ。「蛸芝居」は形態模写。九雀さんの芸域の広さは、まさに孔雀の羽の色のように多彩ですね。わ、褒め過ぎかな。 (小宮孝泰、コント赤信号)


第2回 「小間物屋政談」は、元が講釈ネタだけに「万両婿」とも呼ばれます。
不運が超ラッキーに転じる物語ですが、結局は大金と元妻より美人の奥方を得てしまうという展開に後味の悪さも感じてしまうのです。きっと私の中の“強欲”が、そう感じさせるのでしょうね。そこを演者の方がどうスッキリ見せてくれるかが、この落語を現在のリアルに活かす際のポイントだと思います。
ちなみに、私の出身地の小田原や箱根が物語の背景になっているのには愛着を感じます。九雀さんの上方版ではどこが舞台で、どう攻めるのでしょうか?
「孝行糖」で笑わせたら滑稽噺の名人です。今日は、亀戸で名人が誕生しますよ。
「雨乞い源兵衛」は、九雀さんだけの持ちネタで、以前に舞台袖で楽しく拝聴しました。同じネタを複数回味わえるのも落語の楽しみですね。 (小宮孝泰、コント赤信号)


第3回
困った癖を持った人物の落語は幾つかありますが、「二人癖」は東京の「のめる」です。お互いの癖を罰ゲームにして酒の飲みっこをする訳ですね。随所に派生する小ネタのオチは予測がつきますから、演者の技術、というよりは愛嬌が売りですかね。九雀さんの可愛らしさに期待しましょう。
倍の数の「四人癖」を得意にしていた、東京なのに不思議な関西弁だった先代の桂小南も思い出されます。
忠臣蔵の語りが詰まった「質屋芝居」は、お囃子がたっぷり入ります。上方らしいハメモノは賑やかでいいですよね。 もちろん芝居心がないと出来ない噺です。小劇場にも詳しい九雀さんならではの高座が目に浮かびます。
「高台寺」のことは、よく知りません。半可通がばれました。
私は落語研究会にいましたが、研究者ではありません。ご容赦ください。 小宮孝泰


第4回
私はお化けが出てくる落語はやらないことにしています。
理由は一つ、夜に独りで稽古するのが怖いからです。間抜けなお化けでも登場場面ぐらいは驚かすでしょう。
ましてや東京の「おばけ長屋」である「借家怪談」には、長い女の幽霊の髪が障子にサラサラなんて、口に出すのも恐ろしい描写があります。絶対に稽古したくありません。でも、幽霊の恐怖と色気は表裏一体です。だから人気があるのでしょうね。九雀さんは、お化け退散のおまじないでもした後に稽古するんでしょうかね?ちなみにこの噺は最近上方では見かけないそうですから、希少価値ですよ。
「鴻池の犬」は、私は上方落語でしか知りません。動物の擬人化は落語の常套手段ですが、大概は一度人間になってから喋ります。でもこの落語では犬のまま口をききます。ディズニーのアニメみたいです。しかも人情、いや犬情噺になってるんですから作者は偉い。
さて、東京ではあまり見られない関西の芸や、関西では見かけなくなった落語をここで聴けるのも九雀亭の魅力ですね。ご堪能下さい。
ちなみに九の一さんの「道灌」も、関西ではレアものだそうですよ。女性ゲストの一花さんは、どんな花を添えてくれるのかも楽しみです。


第5回
この九雀亭の案内葉書がキレイになって嬉しいですね。気持ちもそそります。
そして今回も九雀さんは3席も演じます。エライ!
落語には相撲ネタも多いですが、今日の「半分雪」もその一つ。見栄を張ると落とし穴があるというのは「町内の若い衆」に似ていますね。
「無いもの買い」は若い頃に聞いて「お前何してんねん」「わい、立ってんねん」で始まる会話に大笑いしたのを覚えています。失敗を繰り返す落語ハウツーコントの定番と弱者が強者へ逆襲する痛快さを楽しみましょう。なんか「大工調べ」にも似てますね。
「百人坊主」は、東京の「大山詣り」です。
似てるんじゃなくて、そのものです。これも逆襲と言うか復讐と言うか、かなり嫌みな意趣返しです。原因は自分にあるのにねえ。
落語のタイトルと下げには微妙なバランスがあります。それを聞いただけで結末が分かってしまうと面白くないですし。ただし、元々は楽屋の連絡事項のためだけに題名をつけたらしいので、ネタバレでも構わなかったようです。今みたいに、SNSで拡散するためにネタ出しするような時代じゃなかったのです。


第6回
私は高校で落研を作りました。で、最初の学園祭でやったのが「狸さい」です。先代・小さん師匠のもろコピーでした。15才のガキが、お爺さん落語家の口調を真似していました。恥ずかしい。小さん師匠が弟子に教えていたという“狸の了見”なんか全然意識していませんでした。では、狸の了見とはどんなものなのでしょうか?九雀さんの高座を見ながら想像しましょう。
「風呂敷」は、古今亭志ん生で有名ですよね。 言葉よりも、仕草や目線で笑いを誘う珍しい噺です。でも本当に大事なのは気持ち(了見)でしょうね。
九雀さんは、間男の設定に一工夫を加えているそうです。現代に通じる了見だといいですね。
「骨釣り」は、東京では「野ざらし」という題で、昔は頻繁に演じられていましたが、最近はあまり聞きません。
柳家花緑さんから聞いたところによると、趣味ネタやボキャブラリーが古くなって、あまり“儲からない(美味しくない)”噺なんだそうです。 古典落語にも時代の流れが影響するんですね。
今は東京で見られない落語を、上方落語の九雀さんの口演で、しかも亀戸で触れられるのもこの九雀亭の不思議な魅力です。
そう言えば、ゲストの方の多彩ぶりも、交友関係の広い九雀さんの会ならではの魅力ですよね。


“へっつい”は、もう死語と言っていい。なのに落語では、よくタイトルに使われている。
「へっつい幽霊」などは、東京でもよく耳にする。今回の「へっつい盗人」は、関西では人気の高い演目らしいが、私はあまり聞いたことがない。なので、YouTubeで確認した。そんな時代である。
登場人物はほとんど2人しかいないので、筋は他愛ないかも知れないが、演じる方も、見る方にも集中力が要る噺だと思う。「壺算」「家見舞い」にも似た世界観で、弟分はへまばかりしている。そこがお楽しみだ。で、“へっつい”とは“かまど”のことでる。念のために。
「一眼国」は、価値観の逆転が下げのエッセンスである。そこまでは、怪奇譚と言っても良い筋で、不気味な感覚がある。
「胴乱の幸助」は、変わった道楽の物語。つまりは喧嘩の仲裁オタクだ。オタクも文化だとするなら、今なら幸助さんは喧嘩評論家になれたかもしれない。客観的な目があればの話だが。その幸助さんの極端に主観的な人間性が落語たる所以である。浄瑠璃描写が必須で、芸も深い典型的な上方ネタだ。
ちなみに、「胴乱」であって、喧嘩を表現した「動乱」ではない。意味は…もう、たまにはお客さんも自分で調べなはれ。

へっつい盗人は、 友達の引っ越し祝いを買う金がないので、かまど=へっついを盗みに行くという、他愛のない噺です。
胴乱の幸助は、仕事一筋の幸助さん、たったひとつの楽しみが、喧嘩の仲裁。稽古屋から、義太夫が聞こえてくると、嫁いじめをしているではないか。もちろん、フィクションなのだが、仕事一筋の幸助さんは、義太夫も文楽も歌舞伎も知らないから、真に受けて、嫁、姑の中を取り持とうと、京都へ行く。来られた家は、いい迷惑。


第7回
「家島天神祭」は、東京の「佃祭」を九雀さんが上方に置き換えた噺だそうです。
過去の善行や小さな偶然が重なって人の運命が変わるという筋立ては、「世にも奇妙な物語」みたいなドラマにもなりそうですね。スリルに艶っぽさも少し混じっているのでワクワクします。恩を忘れない若い夫婦の人柄は情と気っ風に溢れています。前半と後半のメリハリも利いているし、また祭り好きの旦那に焼きもちを焼く女房のオモ可愛さや、悔やみの言葉も碌に言えない町内の連中の間抜けぶりもキャラが立っています。物語と登場人物の配置が申し分ないので、祭りを背景にした一日だけのロードムービーのように絵が浮かびます。演りたがる人が多いのも納得ですね。
後半のテーマの核になる“情けは人の為ならず”を、私は随分長い間“他人に不要な情けをかけると却ってその人のためにならない”と勘違いしていました。誰にでも、そんな経験はあるでしょう。東京では与太郎がオチを担いますが、九雀版は丁稚の定吉に代わります。彼は“情け”の意味を理解はしていますが、情けより欲が勝っているので失敗してしまいます。落語らしく微笑ましい“業”の世界で締めくくられます。
「坊主茶屋」は、東京では「坊主の遊び」と言いますが、でも元は上方ネタだと先代の円歌師匠が語っていました。そして、私はその円歌師匠でしか聞いたことがありません。酒癖の悪い男や生意気な女郎が登場し、しかも主役の隠居がその女郎にちょっと残酷な悪戯をするので後味が悪くなる可能性もあります。そこを救うのは隠居の可愛らしさと包容力です。この噺では、円歌師匠は名作「中沢家の人々」とは違った演技派の顔を見せています。 YouTubeでご覧になれますから是非どうぞ。
「代書」は、上方落語の代表作「代書屋」の米朝一門での呼び名だそうです。そもそも代書屋という職業がなくなっているのに、落語だけが残っているのには驚く価値があります。主人公のお馬鹿キャラは長生きですね。“一行抹消”のフレーズも耳に残りますよね。でも、パソコンばかり使っているうちに漢字をどんどん忘れてしまう私は、このボケ倒しキャラを手放しで笑えるのでしょうか?
江戸と上方を行き来する落語の世界を、今宵も九雀さんの高座で楽しみましょう。


第8回
30年ぐらい前に、明大落研OB落語会で「道具屋」をやったことがある。与太郎と客との二人称の会話が中心だから、自分なりの改作も容易だろうと素人考えの延長で思っていたら大間違いだった。古典落語の枠組みは丈夫で固かった。堅牢な城のように、足軽程度の邪魔なくすぐりは簡単には寄せつけない。こちらも表現者としてはプロになっていたから改めて思い知った。結局、マクラ以外は型通りにしか演じられなかった覚えがある。 さて、前座噺の基本中の基本の「道具屋」を、九雀さんはどう現代に活かすのだろうか?
逆にプロの噺家さんが、
オチから内容まで様々なアプローチを競っているのが「死神」である。
強欲な人間の有頂天と没落のあがき。人生に例えられたろうそくの火がどうやって消えるのか?グリム童話を基にした名人円朝作の奇談が令和の亀戸に蘇るのは、九雀さんの双肩、いや口先にかかっている。
その点、「あしたの象」は新作のネタ下しらしいので、他者と比較されることがないから自由かもしれない。そこがオリジナルの魅力だ。もっとも責任も全部自分で背負うのだけれど。タイトルが、ある言葉遊びになっているのは噺の後半で分かってくる。あと、江戸時代設定の新作落語は新古典になる可能性が高いので期待していいのかな?
九雀さん、無責任なエールを送ります。『今夜も3席、頑張って!』


第9回
「金明竹」は、東京の商家に関西の商人が言伝に来て、関西弁を理解できない与太郎やらが迷走する東京落語だと思っていました。それを本場の上方落語の九雀さんがどう演じるのか想像がつかないので面白そうです。私は、やや関西弁優位に捉えていた噺なんですが、標準語優位になるのでしょうかね?
「本能寺」は芝居噺だそうです。私には予備知識がありません。きっと明智光秀の襲撃の話でしょうから今年の大河ドラマに照準ピッタリですが、悲劇の殿様が落語に向くのかなあ?沢尻エリカは登場するのかなあ?
口は災いの元で揉めるのが「猿後家」ですね。女性の顔のことをとやかく言う噺ですから、今だったらセクハラで訴えられるかもしれません。それを落語的な多数の論理で笑えるようにしてしまうのは、案外健康な発想のユーモアなのではないでしょうか?攻撃も守りも、過ぎるのは危険です。大らかに笑ってもらえる意地悪であれば平和でいいですよね。この噺に後味の悪さを残さないためには、女主人の愛らしさをどう演じるかがポイントになる気がします。でも、この私の解釈自体がセクハラかな?表現の難しい時代ですね。







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