「東京かわら版」2008年5月号
〜落語と私〜



新宿末広亭の周りは夜の部の開演を待つ客がとぐろを巻き、去年の秋に橘流寄席文字の一門が開いた特別興行は大盛況だった。

その頃楽屋では、三人のおじさんが座布団の上で小さくなっていた。ラサール石井、松尾貴史、そして私。芸能界ではすでにベテランとも呼ばれる我々が、慣れない空気に気圧されて居場所に困っていたのだ。お世話してくれる前座さんの方がはるかに堂々としていた。この日、私たちは落語の聖地で落語をやるのだ。後からリーダー渡辺正行が偉そうに入って来た。続いて賑やかに楽屋に現れたのは高田文夫先生だ。四人に緊張が走る。先生の声と眼はでかい。「赤信号でコントやった方がよかったんじゃない」。プレッシャーは高まるばかりだ。トップバッターの私が着替えていると、前座さんの噺が始まった。何かしらと思っているうちに、下げもなく突然噺が終わった。客はまだ全然暖まっていない。それでも私の出囃子は鳴り始めていた。

末広亭の高座は三度目である。初めは赤信号の暴走族コント。二度目は刑事ドラマ「相棒」で、殺人犯の落語家役で高座に上がった。本格的な出演になる今回の演し物は「粗忽の釘」。数ヶ月前から場数は踏んできた。柳家喬太郎さんや春風亭昇太さんにも稽古をつけてもらった。まくらにドジ話の経験談を幾つか振ってから噺へ。基本のくすぐりで受けた。ちょっと早口になったが、後半のたたみ込むネタも手応えがあった。全力疾走のように噺を終えると喉がカラカラだった。次に上がった石井君が「あんなに元気な小宮君を見るのは久しぶりです」と話を切り出すと、場内には明るい笑い声が響いていた。

この頃、業界の垣根を越えたこういう催しが盛んだが、私は大歓迎である。我々は普段とは異なるピン芸の孤独と興奮を味わえる。一方、芝居をやる噺家さんも増えてきた。彼らは演劇のチームワークの醍醐味を知って楽しそうだ。お互い自分の分野にフィードバック出来る何かを掴んでいるはずだ。異文化交流は進歩の第一歩である。久しぶりにやって来た私の落語ブームは当分終わりそうにない。

kugi
当日の高座姿。
メクリの「小宮孝泰」の字が、ちょっと違和感があるのが面白いと思う。
袴姿の高座が多い。




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