2月1日(日)
朝から引越し後の部屋整理。
そして読売新聞の原稿を書く。文化交流使のこと、コメディハウスのことが中心の記事内容で執筆中。締め切りまでにはメールが開通しそうにないのでFAX原稿を考えている
肉の焼ける美味そうな匂いに釣られて入ったカムデンのカバブ屋でカバブをTAKE OUTにする。これまたでかい!食べ切れなくて家で2回に分けて食べた。
夜、楠原さんの家の近所のブリクストンのコメディハウスでスタンダップコメディを見る。昨日のユダヤ人の司会者がここにも出ていた。どうやらプロデューサーらしい。”I saw you at Red Rose last night.”と言ったら喜んでいた。出演者はまだ荒削りな感じの芸人が多い。”ネタを忘れちまったがどうしよう”というネタをやってかなり客を引かせていた奴。新ネタを試しにきた奴。何と妊婦のJewishもいた。
言葉の壁は越えられず、まだ笑えない。しかし色んな所でコメディをやっているもんだ。ちょっとしたパブのそこかしこでコメディのライブがある。そして芸人の腕に関係なくお客さんは笑いに来ている。必ずと言っていいほど、ビールを飲みながら大笑いしている。”パブのビールとスタンダップコメディと笑いたがりの客”これが私の見たロンドンの夜の一つの風物である。

jewcomedy
右端のウッディ・アレン風のおじさんがその人。


2月2日(月)
林里奈さんと午前10時半にカムデンタウンで待ち合わせ。私の癖で、出掛けにもたもたしてしまい早起きしたのに遅刻。
彼女が作ってくれ私のプロフィールと「接見」の宣伝文の英語版をチェック。固有名詞などの誤りを直す。彼女は「接見」で、私が弁護士と被疑者の2役を演じ分けるものだと思っていたらしく、それも訂正。
林さんにCAMDEN TOWNのJAZZバーやら文房具屋の場所を教わる。RYMANという文房具屋では、部屋で使えそうな品物を多々発見。
さらに地下鉄のオイスターのカードを作り、1ヶ月定期にしてもらう。何だかしてもらってばっかりである。多謝!

その足でNorthern Lineの Hendon Central、富士サービスさんまでFAXのレンタルに向かう。ここは主に日本人向けのレンタル商品を取り揃えているお店。短期滞在型の人には心強い味方だ。店内というか、店外までというか、日用品が在庫一掃大売出しのセールみたいに溢れかえっていた。FAXは3ヶ月で45ポンド。旧式だが贅沢は言ってられない。メールも開通してない今は必需品だ。
Camdenまで戻って、重いFAXを運びながら買い物。
駅前でEnglish Breakfastの安い店を見つける。トースト、ベーコン、Baked Beans(インゲン豆をトマトソースで煮込んだ食べ物。いけるよ)、飲み物なんかがセットで£2,80。これくらいがBreakfastの安い店の相場みたいだ。
家に帰ってFAXの機械をセットして、早速日本の読売新聞まで原稿を送る。やれやれ締め切りに何とか間に合った。
組み立て式の紙製の箱を幾つか買ったので、箱作り。これで小物の整理が出来る。

休む暇もなくお出かけ。まずロンドンの秋葉原 Tottenham Court Roadでインターネット用のリード(延長コード)を買う。差込口が日本用とイギリス用など色々あるし、電話回線とインターネットではコードが違うので注意と確認が必要。メールが開通しなかった原因の一つは、このリードであることも判明。間違って電話回線の長いコードを使っていたのである。
続いて日本大使館でパソコンをお借りしてメールを数件。余った時間を利用して「接見」の練習を応接室で少しばかり。7日の準備なのだ。あわただしい!

そして本日の夜のメインイベント。日本大使館のレセプションルームでパーティーである。あんまりパーティーとかは柄じゃない人間だが、文化交流使としては必要事項だろう。林里奈さんがせっかく招待してくれた催しである。こんな時のために用意しておいたジャケットやネクタイも役に立った。
特命全権大使のQ様にご挨拶する。何だかアメリカ映画に出てくる典型的な日本人のような風貌な方でユーモラス。失礼!親しみ易いという意味も込められてるんですよ。とにかくこんなときでもなければ私はなかなかお目にかかれない方だろう。
遅れて参加した分を取り戻そうとウィスキーを立て続けに飲む。
それからデザイナーやらスポーツ選手やら、カリスマシェフやらホテル関係者やら、日本人やらイギリス人やらフランス人やら大勢の人と、少しずつ歓談。もう本当にそれぞれ少しずつ。話の内容など、ほとんど覚えられやしなかった。

勢いに乗って、Picadilyまで歩いて2次会に参加。かなり酔った。オタクっぽいBank Clerkと英語で話し込む。私のまずい英語に、しかも酔っている英語によく付き合ってくれたもんだ。いや酔っているからこそ聞けるのかな?
本日も撃沈!


2月3日(火)
午前中は、インターネット専用であるはずのリードをパソコンに繋げてインターネットに接続する作業。・・・ピポパポピポ・・・よーし繋がった。PCから電話の発信音が聞こえてきたときには嬉しくなった。以前に買った20メートルコードは電話回線専用だったのだ。口惜しいから、それは今FAXに繋いでいる。転んでもただは起きないぞ。負け惜しみを言いながらも、実はまだメールは開通せず・・・?!

部屋でぶつぶつと「接見」の練習。今のところは英語の台詞を思い出す段階。
それからカムデンで、なんだかんだお買い物。それから日本の読売新聞、JAPAN21、日本語学校のTさんなどに電話。これからのスケジュールのことなど用件は色々あるのである。この辺が今回の大変なところで、とにかく役者兼コーディネーターなのである。

夜はブライトンビーチまで念願のリディキュラスマスを見に行く。楠原さんの車にホーキ・カズコさんと3人で乗り込む。所要時間片道約1時間半。
ニール・サイモンの芝居にもある海辺の街ブライトンビーチへの小旅行だったが、行きも帰りも真っ暗な夜道だったので何も分からなかった。
ただ初めて高速道路”Motor Way”を走った。この国では新しく出来た極一部の高速道路を除いて、高速料金は要らないらしい。したがって料金所もなかった。
ブライトンでかなり道に迷いながら、リデュキラスマスの出演する劇場”KOMEDHIA”に到着。いよいよ彼らのライブを見ることが出来る。
劇場は2つあって、彼らが出演するのは日本の小劇場のような小さい空間。250席くらいだろうか?
開演時間になったら突然顔見知りの方のスキンヘッドの片割れが舞台から降りてきて私に何やら渡して去って行った。パンフレットだった。芝居が始まっているもんだとばかり思ったので舞台に駆り出されると思って一瞬緊張。
待つこと数分、突然始まったオープニング曲にのって舞台真ん中にデーんと置かれた大きな事務机らしきものに向かって、これまた事務用の椅子らしきものに2人が乗って突進してきた。ある時は病院のストレッチャーのように滑りながら、ある時は机を中心に回りながらスピーディーに動き回る。軽快な始まり方だった。今までイギリスで見たものとは違うオープニング。あんまり動きが激しいんで椅子のキャスターを壊していた。明日もあるのに大丈夫なんだろうかと要らぬ心配。
そして会話が始まった。やはり会社の話らしい。どうやらお昼までの暇な時間をどうやって潰すかもめているらしい。ただししばらく観ていると、あまりリアルな話の展開ではなさそうだ。突然人物や立場が変わったり、黙ったり大騒ぎしたりしている。

以下見たまんま
サンドイッチを早や食いした
スーツやシャツを後ろ前に着た
客席に飛び込んできた
ダミーの相手の人形を放り投げたり、倒したりした
おならをした

お客さんは爆笑とまでは言わぬとも結構楽しんでいる。そもそもロンドンから離れた場所でお客さんが集まるということはファンがいるのだろう。

彼らについて思うこと
ロンドンに来て、笑いの中にボケとツッコミがあるのかどうかを確かめるのも今回の一つのテーマだった。現在のところ、今日の舞台も含めて、それは発見できていない。
しかしボケとツッコミを、意外な方向へ笑いの弾を打ち出す非日常のボケと冷静にその弾を込め直したり狙いをつけてやる日常のツッコミに分けるとするならば、彼らにそれは確かにあった。
声は大きくて陽気だが観客の視点を忘れていないスキンヘッドの日常と、陰気でナーバスだが異常な世界を維持している相棒の非日常が彼らの構成の大きなポイントである。
日本にあるものに例えるのが好きな私の感触では、騒がしい”ラーメンズ”とでも形容しておこう。

以前に明石家さんまさんに他の国にツッコミ・ボケがあるのかどうか質問したら、NHKで時々放送するニューヨーク・アクターズスタジオ中継の話が出た。有名な俳優をゲストに招いて司会者と2人でトークする番組だ。さんまさんの意見によればあの司会者の喋りは”静かなツッコミ”と呼んでいいものらしい。さすが一流の芸人は見ているところは見ているもんである。
この辺の笑いの話はまた後ほど詳しく!

終演後みんなで合流して劇場のバーで一杯やる。舞台上でナーバスな笑いを誘っていた相棒は、実生活はもっとナーバスらしくて飲みもせずに一人でホテルに引き上げたらしい。時々彼はうつ病になるらしい。怖いな。「でもやさしい良い人よ」とカズコさんは言っていたけど。

ridiculous
右のスキンヘッドがスティーブ。左がカズコさん。真ん中は知らない派手なおばさん。ボーイ・ジョージではありません(^0^)


もうくたくただったろう楠原さんに運転してもらって帰る。ありがとうございます。




2月4日(水)
午前中は「接見」や落語の練習。7日のテルフォードの発表までもう日がない。ちょっと焦るなあ。
こちらの業者にパソコン設定のの問い合わせ。まだメールが送信できないのだ。受信は出来るのに送信がー!きっとメールソフトの設定をちょっといじるだけのことなんだろうけど、それが分からーん!苦しいー!

午後Actors Centreに行くが授業予定が変更。お休みだった。そういえば昨日携帯の留守電にActors Centreからメッセージが入っていたが、あまりに長いのと早口なので全然分からなかったのである。ま、いいっか。予定外に余ってしまった午後の時間を、どう有効に使おうか?

一時帰宅。メールにチャレンジ再開
そして日本からFAXで送られてきた嫁さんの指示で遂にメールが開通!
以下その喜びの声を当日の私のHPの掲示板からどうぞ

※  ※  ※  ※  ※
ヤッター!諸事情をクリアして、インターネットが自室で使えるようになりました。
メールのツールアカウントの設定を少しチェックするだけのことでしたが、 それが分からず苦労しておりまたら、嫁さんが素晴らしい指示をFAXで送ってくれまして。全面開通です。
また一つ頭が上がらなくなりまして、もう顔ごと地面に潜り込みそうです ※  ※  ※  ※  ※

以上当日の興奮の模様です。

カムデンでお買い物の下見。まだまだ部屋でそろえたいものが幾つかある。

camden04A
これがマーケット。土・日はもっと混雑して原宿の竹下通り並みになる。ただこの街にはパンクロック系が多いので雰囲気は違う。普通の人でも顔ピアスは珍しくない


今日はTVの生中継をやっていた。マーケットにいつもの人ごみとは違う雰囲気の人だかりがあり、若い女の子がキャーキャー言っていた。大画面モニターで見る限り、若者向けの情報とクイズなどのバラエティ番組の2元中継のようだった。スタジオからの振りにこの現場のクイズ回答者やインタビュアーが答えていた。昔の「夕焼けニャンニャン」みたいな感じかな。うーん、私も言うことが古いなあ。
一眠りして、夜は「接見」の練習。はかばかしくない。「接見」全場面をやるのは不可能だと実感。方策を考える。2場までの上演にするか。こう言っちゃ何だが、特に今回の「接見」基本的にボランティアでやるので私にリスクはないはずである。
深夜まで粘ったが、諦めて風呂に入る。
しかし、どうもこの風呂の湯加減調整が上手くいかない。ずっと熱いお湯を溜めてるつもりが、いつの間にかぬるま湯になっている。特にシャワーは難しい。熱湯と冷や水が交互に来るので、ちょうど良い加減のタイミングを見計らわなければならない。お湯をを浴びながらシャワーに近づいたり離れたり、バスタブの中で裸の私は何をしているんだろう。傍から見たら実に滑稽なはずだ。イギリスではこういうことがよく起こる。

深夜ビートルズを聴きながら、アイリッシュウイスキーを飲む。


2月5日(木)
カムデンで写真立てや組み立て式の小さな木のテーブルを買う。写真立てには日本から持ってきた家族の写真を飾った。

午後JAPAN21教育センターで明後日の打ち合わせ。当日は日本フェスティバルのようなものが開かれるらしい。私は朝から夕方まで落語のワークショップ。担当のドナギーさんとハイディさんが立ててくれたプログラムはなかなか面白いのは前にも紹介したと思うが、とにかくこんなに長い時間やるのはここだけだ。どんなことになるやらとても興味もわくが、長時間持つのかどうかも少し不安だ。

JAPA21では、野口しゅう子さんに初めて会う。彼女はこちらの演劇界の事情通だそうだ。以前に大和国流基金のKさんから紹介されていた。ここに勤めてるとは知らなかった。「在外研修と違って、色々やらなければいけないから大変ですね」と野口さんに優しく声をかけられた。

レスタースクエアの本屋でバスター・キートンの写真集を買う。前にActors Centreの帰り道にブラブラしながら見つけた本だ。この辺りには芸術関係の本屋が多いが、その店は一段と異彩を放っていた。どうやら写真が専門の本屋らしいのだが、グロっぽいのやら、裸やら、ドキュメントやら、単なるエロとは違うハードカバーの写真集が所狭しとウィンドウに並んでいた。中には日本語のタイトルで「東京、誰も人が写ってません(建物ばかりで本当に人が写っていそうになかった。どうやって撮ったのだろう?)」なんていう写真集もあった。これは興味が沸く。店内に足を踏み入れると地下への螺旋階段。”Cinema”と指示してある。どうしたって降りたくなった。難しそうな本や、分厚い本が棚に詰まっている。ふとFilmのコーナーを見上げると、そこに3人の喜劇人の顔が並んでいた。キートン、ロイド、チャップリン。無声映画時代のヒーロー達の表紙が高い位置にDisplayされる形で、彼らはそこにいた。思わず”オオーッ”と溜め息が出そうになる。いや出たのかもしれない。どれも伝記も載せたハードカバーの大型写真集で、表紙の装丁だけでもポスターにだってなりそうだ。編集者は3冊とも同じ人物のようだった。表現者自信もさることながら、これだけの喜劇人の本を残そうという人がその時代に存在しただけでも特筆に値する。





今日は意味ありげな顔をして横を向いている表紙のキートンの本を手に入れた。ちなみに1冊£30。値段も張るが運ぶのも重い。


それからCD−RのサービスのあるPhoto ShopをNorthern Lineに沿って点々と捜す。グッジストリート、EUSTON、MORNING Crescentの各駅で降りて近辺を捜すが、さすがに無料サービスの店はなかった。
EUSTONがあんなに大きな駅だと初めて知る。National Railwayとも連絡しているので駅構内がやたら広い。発着のお知らせが、まるで空港のように表示されている。正直一瞬、近くに飛行場があるのかと思った。
ここでは有料トイレも経験。さすがにきれい。40P也。本当にこの国には色んなトイレがある。写真を撮っておくべきだと何回も思うが、そんなところを他人に見られたら変態だと思われるだろうから踏みとどまっている。

テーブル作り。安物なので説明図のようには上手くいかないが、何とか80点くらいの出来のものを完成。これでリクライニングチェアーに座りながら、酒とつまみを楽しむことが出来る。私らしい世界だ。よしよし!
明日の荷造り。着物、「接見」の衣装と小道具。「接見」用の皮靴をまだ日本に置いたままなのに気づくが、明日は代用品だ。それからお泊りセット。扇子や手ぬぐい、英語で話す「日本の伝統芸能」の本など。結局ものすごく重い。
深夜に「接見」を1場・2場と続けて台詞の確認。落語は「厩火事」と「桜鯛」をちゃんと座った形で稽古。

気がついたらビールを飲んだまま、リクライニングチェアーで寝ていた。明け方5時にベッドに入る。


2月6日(金)
それでも9時起き。Excursion(小旅行)の支度もしながら、日本大使館と日本の読売新聞に電話。
12時頃、ハイディさんとドナギーさんが車で迎えに来る。
私のスーツケースが大きいことを伝えたので大きめのワゴン車か何かで来ると思っていたら、普通の乗用車だった。あちゃー!
しかもすでに荷物がいっぱいの状態である。
それでも収納をやり繰りしてスーツケースを押し込み車に乗り込む。本当にギュウギュウ詰め。私は後部座席の右のドアから荷物の隙間の空間に鯖の押し寿司みたいになって入る。
大変なことは重なるもので、ロンドン市内渋滞。遅々として進まない車の中で「接見」と落語の台詞の確認。ぶつぶつと数時間。
やっと市内を抜けて、途中からこの国の高速道路”モーターウェイ”で田舎町を見る。なるほどイギリスには山がない。なだらかな起伏の続く緑の平野が延々と見える。ちょっと北海道みたい。前の座席から「小宮さん、羊ですよ」と声をかけられたので覗いてみると、かなり大きな羊が思いのほか散り散りに草を食んでいる。しばらくして「ごめんなさい牛と馬でした」馬鹿馬鹿しくなるような訂正を入れられる。あんたら与太郎か!?
後部座席で足が固まりそうになる頃、予定よりだいぶ遅れてテルフォードに到着。すでに夕刻だ。
まずは学校の下見。展示してあるものなどを見るとなかなか芸術性の高い学校に思った。美術室のような部屋で和紙を作っているイギリス人女性に会う。彼女から突然日本語で話かけられた。英語での挨拶しか念頭にないと、こういう場合ビックリする。彼女の言うには岐阜で和紙を作っていて日本とイギリスの半分半分の生活だという。
ハイディさんとドナギーさんが明日の準備で忙しいので放ったらかしにされている間に、見も知らぬ他人の教室でみっちり「接見」の立ち稽古。結局有効な時間になった。
ホテルチェックイン。

telfordS
これが学校。イギリスではどこへ行っても高層ビルはない。この校舎も2階当建て。泊まったホテルも2階建て。その制限(?)が、イギリス独特の歴史を感じさせる街並みになっている。


washi
和紙の先生。この顔立ちでいきなり日本語で喋られるとちょっと驚く。カメラ慣れしていないのかな?写真よりは美人だったと思う。


疲れを忘れて、ほとんど間をおかずに特別に用意してもらった小部屋で「接見」を2場まで上演。イギリスで初めての「接見」のお客様はJAPAN21のハイディさんとドナギーさん、そしてさっきの和紙の先生と男の俳句の先生の4人だけだったが、俳句の先生に”まるでそこに人(被疑者)がいるようだった”と褒めてもらった。
悪条件の中で無理してでも勇気を奮いだしてよかったと、ちょっぴり嬉しくなる。
さらに夕食まで明日の授業のために落語の歴史をおさらい。

8時半。遅い夕食。ディナーのコースを好きに選んでいいらしいので滅多に食べないサーロインステーキを頂く。美味しい。少しばかり開放されて幸せ。ワインとビールも沁みるねえ。文化交流使に選ばれて良かったとこの国で初めて思った。
そろそろ環境にも慣れてきて、周りに外国人だらけでも気にならなくなってきた。
お酒の勢いで、そのまま俳句の先生と外務省嘱託のS女史としばし歓談。日本とイギリスの文化談義。S女史の英語は筋金入りらしく明確だ。少し四角張ったようなきっちりした話し方が特徴的。
少しのお酒でよく話しました。午前1時半就寝。

ところでこのホテルは98%の場所が禁煙。イギリスはどこもこうなのだろうか?お酒を飲んでいる間だけは煙草が無性に欲しくなる私は、先行き不安が残る。


2月7日(土)





本格的ワークショップの初日。
睡眠不足と関係なく早朝目覚める。興奮しているのか一度起きたら二度寝が出来なくなってしまったので、きちんと朝風呂に入る。
ホテルの朝食は典型的なEnglish Break Fastのバイキングスタイル。牛の血を混ぜて作るらしい、どす黒い”いしいのハンバーグ”みたいのが、ビターな風味で美味い。初めての食感、初めての味。
準備のために早めに学校に行くが、早過ぎて誰もいなかった。寒い中を守衛さんの登場を待って、それっと校内に入る。入り口が数箇所しか開いていないので、色々遠回りをさせれて落語のワークショップの部屋に。いすも机もほとんどないガランとした空間。廊下と廊下の通り抜けの道になっている不思議な位置にある教室だ。
高座も赤い毛氈もないので、着物を包んできた大きな紫の風呂敷を広げて少しでも日本的な場所を作る。座布団は畳表のい草の夏用座布団。贅沢は言わない。
そうこうしていると他の先生や、本日の生徒さんも続々入場。

午前10時15分、落語のワークショップが始まる。
ハイディさんが私を紹介してくれて、いよいよイギリスで始めての本格的な文化交流が始まる。
着物と袴姿で登場し、まずは軽いジャブのギャグを入れたご挨拶と落語の短い説明。
なるべく午前中は英語で説明するように心がけた(午後はそうはいかなかったけど)。
そして古典の名作「厩火事」を英語と日本語で演じる。続いて扇子と手ぬぐいの小道具としての使い方の実演を手短に見せる。次に「桜鯛」を今度はさっきと逆の順に日本語と英語でご披露する。
参加者が日本語が得意なわけではないので、これは別にどの順でも効果はなかった。

話は戻って実はその場で気づいたのだが、出囃子のCDの中身を日本に忘れてきてしまった。予備にMDの出囃子を持っていたので何とかなったが、冷や汗が出た。

そして着物の着方の講習。着ていた着物を脱いで、改めて着る。時間のかかる単純な繰り返しだが、皆に見てもらうにはこの方法しかないだろう。





紐やら袖やらがまとわりついて袴を穿くのにもたついていたら、”着物の袖が邪魔じゃないですか”と生徒に聞かれ、”ええ、邪魔です”と正直に答える。そこまで慣れてないのよ。
襦袢を縛る結び目のこぶが邪魔だったので”ノット(knot)”は”ノット(not)と、思わず駄洒落を言ってしまう。生徒にも言葉遊びが分かったようだったが、笑ってはもらえなかった。
ちなみに駄洒落は英語で”pun”パンと発音する

小道具としての扇子と手ぬぐいの使い方の簡単な説明とお手本を見せる。春風亭昇太くん直伝である。渡英前に高田文雄先生にその話をしたら”昇太に仕草を教わったの?!”と怪訝な顔をされた。
始めに扇子の使い方から。今までの経験でイギリス人に一番受ける”そばの食べ方”を皮切りに、キセルで煙草を吸う仕草を金持ちバージョンと貧乏人バージョンで。日本刀は実際にはない刀の長さを、どうイマジネーションさせるかが味噌。”このイマジネーションが落語ですよ”と昇太くんの受け売りのままに解説。続いてハサミ。本。筆。手紙。戸を叩く音なども披露。手ぬぐいの方は、本にもなり、刻み煙草入れ、財布などにもなることを実演。実際の演技の説明になると参加者たちは非常に興味深そうだった。
登場人物の演じ分けについても説明する。落語では演者が上下(かみしも、右と左のこと)の演技を使い分けることで男や女、年寄り・子供、侍から町人まで表現するのだということ。そして基本のルールは演者が右向きで演じる人物が年上や目上の人間であることも補足する。

説明の後には早速彼らに扇子と手ぬぐいを持たせて演じてもらうことにした。
ここからが驚きだった。
参加者に演劇担当の先生が多かったので積極的で物怖じしない。ちょっとした仕草にすぐにアドリブを入れて演じてくれる。例えば手紙を読む一連の動作では、ラブレターが来た設定を即座に作ってほくそえみながら一言言ったりする。その上”誰から来たラブレター?”と私が質問すると”ヒミツ!”なんてお茶目なことまで言うから憎いじゃないか。他の人もただ傍観してるわけじゃない。どんどん次のアイディアが飛び出してくる。
来る前に思っていた”盛り上がらないんじゃないか”という不安は一気に吹き飛んでいた。

小休憩を挟んで、今度は落語の台詞の練習だ。「厩火事」の最後の夫婦の場面を演じてもらうことにした。
ここから私の驚きは加速度を増す。
瞬く間に台詞を覚えて、自分なりに見事に演じきる人ばかりだ。演技も上手いし面白い。アドリブも生きている。人物の演じ分けも極端なくらいに、はっき出来ている。当然英語は私より上手いわけだから、こっちが勉強させられた。
扇子と手ぬぐいの使い方の他のバリエーションを引き続き体験してもらうが、みんなのそれぞれの個性が出ていてとても良い。先生の立場としては全員に満点をつけたいくらいだった。

当日の主な参加者を紹介すると
メキシコ出身の男性”ロヘリオ”は、お腹が相当出たでぶっちょなので座布団に座る時にドシンと落っこちるようにしか座れない。
見るからに元気な”Mary”は、快活そのもの
一見おとなしいが、演技になると人格が変わる”Jo”。彼女はスタニスラフスキーの演技システムを習っていたらしい。
政治ネタが得意な大人の女性や、若くてヨーロッパ系美人の女性もいた。
そして恥ずかしがりやさんが3人。みんながみんな出たがりなわけでもないんだね

とても優秀なのだが意外なことが出来ないことも発見した。扇子が上手く開けないのである。我々日本人にとって箸を使うのと同じように慣れている開け方だが、彼らにはそれが出来ない。つまり扇子はどんな場合でも持った上の方の手を右にずらしていくようにして開けるものだ。反対だと扇子が壊れてしまう。ところが彼らにはその概念がない。左へ力を入れてずらそうとするので、素早く止めさせなければならなかった。落語と狂言用の特別な扇子を使っていたので、ここで壊されると後の英国ワークショップが台無しになってしまう。

昼食。和食講座担当のシェリーさんが授業で作った日本食をご馳走してくれた。彼女が”さんまの照り焼きがあるよ”というので期待していたら、それは”サーモンの照り焼き”だった。”さんま”と”サーモン”は似ているな。

washoku
味噌汁。ひじきの煮物。茄子とピーマンの味噌炒め。サーモンの照り焼き。わかめときゅうりの酢の物。ほうれん草の胡麻和え。たくあん漬物。
などを美味しく頂きました。


2時から授業再開。いよいよ本日のメインイベント。各自で新作落語のネタ作り。そんなの無理だろうと始めた企画だったが、私の心配を予想を全く覆して素晴らしい展開になった。なるべく自由に作ってもらいたかったので”登場人物が2人以上で、人物設定がはっきり分かれていること”と”扇子や手ぬぐいの小道具を少なくとも1回は使うこと”以外の規定はしなかった。

※ところで新作落語を作って覚えて発表するだけで参加者も私もお腹一杯。結局、着物の着方の講習はしなくてよいことになった。それに日本に興味のある人はすでに着物のことはそれなりに知っている人が多いらしい。

さてさて、さすがに新作作りはあっという間には出来ない。その場で考えて台本に起こし、さらにはそれを覚えて人物を演じるのである。さすがの彼らでも小1時間を要した。その間に私は他の授業もチラッと覗いた。

wadaiko
これは和太鼓の授業。威勢の良い太鼓の音が校舎に響いていた。みんなかなり上手かったよ。




haiku
これは俳句の授業。一番静かで真面目そうな授業だった。ちなみに英語の俳句はもちろん5・7・5ではありません。その心意気を取り入れた短い詩です。


教室に戻って、試行錯誤しているネタの展開、小道具の使い方などの質問に各々アドバイスをする。といっても彼らの物語はそれぞれハイレベルで、ほとんど手を加える必要はなかった。小道具として扇子と手ぬぐいをどう使うかの指示が多かった。

そしていよいよ午後3時。休憩も取らずにショウタイムに突入した。
英国人による英国人の、もしかしたら初めての落語会が始まる。刺激的な瞬間だ。

roherio
これがロヘリオ。彼はは出身地メキシコを舞台に馬鹿な家来と主人の話を作った。扇子を主人のムスタッシュ(口ひげ)に見立てて、喋るたびに開いたり閉じたりしていた。使い方は邪道だが、悦に入っている彼の姿が可笑しくて仕方なかった。もちろん場内は爆笑。見学に来ていた日本大使館の方も大喜びだった。さらにこの噺は振りから落ちまでが形になっていて、すでに古典の滑稽噺の様相を呈していたから驚きだ。


Jviolin
これはJo。扇子をバイオリンに見立てたので使い方を指導。。彼女は不貞腐れた人間を演じると光るものがある。人物描写が面白い。さすがスタニスラフスキー経験者。



mary&J
奥が陽気なMary。これはそばを食べる練習。最新最小のMobile Phoneを題材にした、あるバーでのサラリーマンの会話。手ぬぐいが豆粒のようにならないかと思案していたが、それは無理でしょう




burea
これは大人のおばさん。ある政治家、結局ブレアとブッシュのことだった。マシンガンやこともあろうに扇子をアルプスやピサの斜塔に見立てた。まさか風景にするとは思わなかった。さらに戦車やマシンガンにもなった。機銃掃射の音も付けてくれた。2台巨頭の会話する大きな電話にもなった。


ずいぶん乱暴な扇子と手ぬぐいの使い方もあったが、それはそれで良しとしよう。
我々日本人が発見できないことをやられてしまうことこそが異文化の交流ではないだろうか。結局お寿司のカリフォルニア巻きだってそうだし、日本人が天麩羅やカレーやラーメンやすき焼き、しゃぶしゃぶを作り出したことも同じことの結果ではなかろうか。
これは後で人づてに聞いた話だがおおよそ大半の日本文化交流のパフォーマンスは“芸”や“表現”を見せることと知識の受け渡しだけで終わってしまうそうだ。その先に彼らが何を感じ、どう咀嚼していくのかまではなかなか至らないという。今回のように瞬時に反応が返ってくるのも珍しいかもしれないが、良い偶然でこういう機会を持たせてもらえたことに非常に感謝する。またそこに立ち会えたことに幸せを感じた。
1回目から出来過ぎだったかもしれないが、次からのワークショップには大いに参考になった。とにかくワークショップであるから出席者の積極的な参加型が望ましいようだ。

素晴らしい1日に感謝!今回の参加者の能力と積極性に脱帽!

日も暮れて、そろそろお帰りである。
帰りの車はさらに窮屈だった。大使館のS女史を国鉄の駅まで送るので搭乗者が1人増えてしまった。行きは鯖の押し寿司だったが、帰りは頭と足を丸めてまるで人間魚雷「回転」である。駅で彼女が降りてくれてホッとした。
それから2時間、イギリスの田舎道をドライブ。うっとりするような満月の夜。夜道を歩けそうなくらいに明るい。雲もなく、見上げれば空には満天の星。解放された気分も手伝って何とも言えない爽快感があった。
先にドナギーさんを家まで送って降ろす。彼女はロンドンからはかなり遠距離の所に住んでいる。田舎の風景が好きなのだそうだ。家に着くと、羊の鳴き声がする。暗い牧場で羊の子供が親を追っかけていた。鳴き声と体つきからして今度こそ間違いなくイギリスの本物の羊とご対面だ。ちなみに子羊と親羊の鳴き声がはっきり違うことを初めて知った。子羊は人間の赤ちゃんにも似た高い声で”メエー”と鳴く。親はもっと低い声で”フウエー”と鳴く。本当だよ。





その足で私もハイディさんにCamden Townの家まで送ってもらう。行きと違ってあっという間に着いた。
お礼を言ってそのまま分かれたが、車の中にはまだ相当荷物が残っていた。あの重たい荷物を一人でどうするのだろうか?帰りがけに心配してハイディさんに声かけると「大丈夫。鍛えてますから」と日本語で言っていた。確かに前の日から、私より重たい荷物をしっかり運んでいる姿を何べんも見てはいたが・・・ご苦労様です!

夜は本日頂いたお裾分けで、すっかり日本食のご飯。
長い2泊3日の旅が終わった。


2月8日(日)
久しぶりにゆったりとした気分で起床。インスタント味噌汁で朝食。
洗濯、片付け。小田原の母に国際電話。
本日はキッチンの戸棚の中をじっくり点検。以前住んでいた方の残していってくれた物を探る。あるわあるわ、次々と使える物を発見。鍋は大きい中華鍋から小鍋まで。フライパンも大小。フォークもナイフもスプーンもお皿もたくさんある。おそらく駐在員さんか何かで小宴会は何度も開いていたのだろう。よく見れば、寄せ鍋用の鍋もある。後は調味料から未使用の米からパスタまで。
ダイニングのテーブルは4人掛けのものが折りたたみ式になっているので、普段はリビングがとても広く使える。
ちなみに部屋の電気器具は始めからほぼ揃っていたことは以前にも紹介したはずだ。TV、掃除機、ラジカセ、炊飯器、トースター、電気ポット、電子レンジまで。
一番嬉しいのはパソコン専用に壁に据付の事務机を設えてくれてあることだ。広いし使い易いので長時間キーボードを打っていても疲れにくい。
前任者の日本人の方々、どうもありがとうございます。きっと何人かの歴史が使い勝手の良い部屋を作り上げてくれたんだと思う。ここの大家さんはきれい好きな日本人贔屓なので、ずっとこの部屋は日本人に貸しているそうだ。私も後の人のためにも貢献しなくては。文化交流使の立場もあるしね。

ここで豆知識
イギリスの電圧は240V。日本より高いので電気製品のパワーは強力。電気ポットのお湯は満タンでも2分で沸騰する。電子レンジで野菜をチンすれば、そのまま煮物か炒め物のように食べられる。ご飯も20分以内で炊ける。初めて蒸気機関を手に入れたようなもんで、私にしてみれば台所の産業革命くらいに匹敵する。面倒臭がり屋の私でも、これなら調理が相当楽だ。

午後、歩いて駅まで行き、カムデンタウンのマーケットをゆっくりブラブラする。
昨日でまず一段落着いたので、ロンドンに来て、初めてこんな風にのんびり出来る。





散歩の途中でJAZZ Cofeeのライブを覗く。生バンドの演奏に暫し耳を傾ける。白人の若いトランペッターをリーダーにドラムとウッドベースとサックス。ゲストに黒人の笠置しず子みたいな女性ヴォーカル。同じ賑やかな音でもマーケットの喧騒とは味わいの全く違った音楽の世界。1曲終わるたびにノリの良い拍手と歓声。
この街では他にもライブや劇場があるのかもしれない。奥の深そうな街だ。いつか探索してみよう。

今日も文房具などの買い物。
部屋に戻って、本棚や書類の整理。少しずつこの部屋も見栄えがするようになってきた。段々と自分らしい部屋が出来上がっていくのは良い気分だ。
夕飯には、初めて炊飯器でご飯を炊く。プディングライスというのが日本の米に似てる。粘りが少し多いのを気にしなければ結構いける。いよいよこの部屋での自炊が本格的になってきた。
食後ソファーで横になっていたら、馬本さんから電話あり。昨日のテルフォードの報告。大成功の模様を伝えると喜んでいた。彼女の学校でも上手くいきますように。

今日は特別なことのない、何でもない日曜日だった。


2月9日(月)
今頃疲れが出てきたのか、早起きできず。中年の筋肉痛みたいだ。後になってこたえてくる
朝飯にパスタを作る。トマトソースで簡単に出来て美味しい。
スウィフトコールの連絡。これは国際電話がお安くかけられるシステム。聞いた話によれば、アメリカの回線を通すとかなんとかで安くなるらしい。スウィフトコール会社に電話したら、そこはアイルランドの会社だった。よく分からんがまあいい。対応は全て日本人スタッフが日本語でやってくれるので安心だ。契約して、早速日本の我が家に電話。

大家さんからハンマーを借りてきた。階段の踊り場の壁面にコルクボードの写真板を飾るのだ。この3階の部屋には階下との仕切りのドアがあって、さらに上って部屋に着く。その途中で手すりの付いた階段が180度回転している。学校なんかの階段と同じね。当然そこには小さいながらも踊り場があって、吹き抜けみたいな感じになっている。日本の我が家のおんぼろマンションからは考えられないリッチな空間を作り出しているのだ。3階から階段を見下ろすように眺めると天井の高い壁面が見える。左手の窓からは外からの光が差し込み、時々は隣家でピアノを弾いたりしているのが見える。良い感じでしょ。その高い壁面がマッサラなのである。これは勿体ない。何か飾りたい。格好良くしたい。普通考えられるのはポスターか絵である。しかし当たり前だし、高そうだ。あまり重いものだと壁を壊す恐れもある。今日も大家さんに”壁を壊さないでね”と英語でそのまま言われた。さてどうしたものかと思って考えついたのが、Ealing Broadwayのホームステイ先のトイレで毎日見ていたコラージュ写真だった。私がロンドンで過ごした日々の写真を、少しずつコラージュして貼っていったらどうだろう。それを貼るには安価なコルクボードで充分だろう。取り付けも簡単そうだし。
そんな訳で文房具屋さんで買っておいたコルクボードを、本日いよいよ取り付けたのだ。すでに焼き増ししてある写真を何枚か縦横斜めもアットランダムにピンで留めた。良い感じだ。我ながら気に入った。帰国するまでには写真も増えて、もっと素敵になっているだろう。4ヶ月の時間経過が一目で分かるのもポイントだ。よしよし、暫しご満悦。

それから出かけてカムデンで買い物。CDラック。ホワイトボード。写真の現像。
今日も疲れ知らずだ。えーい、再び出かけて日本大使館のZさんにプロフィール写真のスキャンをお願いしに行く。何かと宣伝用にその画像ファイルも必要になってきたのだ。大使館では、すっかり皆様とも顔なじみになってきた感じだ。皆さん笑顔で声をかけてくれる。
帰り道、ピカデリーサーカスで日本食品屋さん「ありがとう」と「らいすわいん」を探す。”そこなら日本食材がJAPAN CENTREよりも安く手に入りますよ”とJAPAN21のドナギーさんたちに教わっていた。夕方の雑踏で少しばかり迷ったが、2軒とも発見。店内を隈なく探索して回る。あるある日本の食べ物がいっぱいあった。一番欲しいのは日本のカレーだったので”こくまろ”辛口をすかさず手に取ったが、思わず納豆とインスタントラーメンにカップ麺も買ってしまう。
それと言われたとおり確かに日本人の若者の客がかなりいた。カップルで来ている人も多いんだね。「地球の歩き方」にも書いてあった日本人同士の連絡告知板も初めて見た。これもコルクボードに”部屋が空いてます”だの”これを売ります”だの”フラットメート探してます”だのと乱雑に書かれたメモが、ごちゃごちゃとピンで貼られていた。小さな板の中の小さな日本の文字のコミュニティ。

帰宅。ホワイトボード作成。リビングの部屋に取り付ける。カレンダーも磁石で押さえた。これでスケジュールが少しは分かりやすくなる。早速予定を記入。今日はボード作りの日だった。

英語豆知識
スケジュールは確かに英語だが、イギリスでは”セジュール”と発音する。”スケジュール”と発音するのはアメリカ英語である。まあ、こんなカタカナ表記のままの発音じゃないですけど。

夕飯は自炊。張り切った。今日買った納豆ご飯。海老と野菜のトマト風味。ねじれパスタのサラダクリーム和え。ひじきの煮物。味噌汁。食べ切れなかった。

本日スーパーSainsbury'sで覚えたこと
商品の表に”buy 1 get 1 free"と表示してあったら、1個買ったら2個目は無料で持って来ていいと言う意味である
以前に洋服屋さんで覚えたこと
陳列棚に”2 for £10”と書いてあったら、2つで10ポンドである


2月10日(火)
納豆ご飯で朝食。
午前10時半 Actors Centreに行く。Improvised Comedyの見学。意外に遅刻してきた人が多かった。
最初の簡単なエチュードだけ参加してみたが、途中で参加不可能だと判断。後は最後まで見学していた。
授業の内容はざっと以下の通り。

Actors Centre  Rob Hitchmough
1.部屋にある物の名前を次々に指して言う
2.一度指した物の名前を次の物を指すときに言う(つまり一つずらして言う)
3.円陣を組んで各自単語を一つだけ言って、みんなで文章を繋げる
  (例えばThis→is→an→apple→that→I→bought→yesterday)
  このやり方は南アフリカの演出家にもやらされたことがある
4.一人のインタビュアーに対して3人で一組になって3のやり方で文章を作る
  (キングギドラみたいな感じ。要領は3と似ている)
5.ネガティブな人と自信のある人の組み合わせで、2人一組になって主に単語だけでも  意味が通じる言葉をつないで会話にする
6.5の続きで、例えばお菓子屋さんの店員とお客の設定で最初はノーマルに即興で演じ  る。次に同じ状況を気分を全く変えて演じる。”怒り”だったり”愛”だったり。これは咄嗟に雰囲気が変わるので見ているだけでも面白かった
7.ジブリッシュ(英国人でないどこかの国の架空のそれらしい言葉で喋る人たち)のエチュード。
スピーチやパフォーマンスするジブリッシュがいて、その動作といんちき言葉を翻訳者が見て感じたままに即興で通訳する
(後で調べたら辞書的には”gibberish”は”理解できないちんぷんかんぷんの言葉、話、文章の意”日本風に言えばデタラメ外国語である) 8.同じ要領でインタビュアーとゲストトークの登場人物になり誰かのスウィッチのかけ声で英語になったりジブリッシュになったり 9.ジブリッシュで掛け合い 10.5人のメンバー。それぞれに内緒で渡された紙には順位付けの番号だけが振ってある。設定の仕事場だけを決めて即興で誰ともなく演じ始める。それに対応して思いついた順から即興演技の輪の中に入っていく。見ている側に演技だけで数字の順番が分かるように演技だけで説明して当てさせるゲーム的要素が含まれる
11.参加者全員が主語、述語、目的語程度の短い文章を4枚ずつ紙に書いて真ん中の小テーブルに無作為に置く。職業や立場だけを決めた即興芝居を始めながら、時々その紙の指示を頼りに話を進めていく
12.あるエチュードに関しては全員が一度にパートナーを決めて同時に演じる。

こんな文字だけの説明で分かってもらえただろうか?3.から後は私の英語力ではついていけなかった。
ただ7.のエチュードだけは参加出来たのに勇気が出なかった。恥をかくつもりではるばるロンドンに来ているのに・・・。誰も自分のことを知らない国で自分を晒してみたいなんて日本で吹聴していたのに・・・。少しの勇気が出せなかった自分に、ずっと悔しい気持ちが残った。

こういうときの勇気とは何なのだろう?
恥ずかしいのは何故だろう?
誰かと自分を比べているからではないのか?
今日の参加者が優秀に思えて、自分が見劣りしたからか?
上手く見せようとするからいけないんじゃないか?
日本で常々感じていることをここでも思ってしまう。

小さい頃から親に言われたこと
他人に迷惑かけるんじゃないよ
突飛なことしないで、普通にしてればいいんだよ
みっともないことするんじゃないよ
恥と恥の国「日本」の考察。


これはテルフォードの落語のワークショップでも感じたことだが、こちらの人は物語を作るのが上手い。教育の段階で、お話作りなどが重視されているに違いないと思う
それにみんな積極的だ。これは見習わなければ
おそらく日本的な意味では、イギリスの役者は恥ずかしいとは思っていない。

気持ちが、少々萎んでしまった2月10日でした。


2月11日(水)
昼から面会3件
12時半、王立演劇アカデミーのActingの先生DEE CANNONと会う。面長な顔の知性と行動力を持ち合わせた感じの鋭そうな女性。What kind of acting lesson do you have? と聞いたら”スタニスラフスキーシステム”と答えられた。3月の彼女の予定やら授業を受ける場所、値段など細かく聞こうとすると、どうしても私の英語力では意志の疎通がはかばかしくない。彼女いわく、やはり通訳が必要とのこと。私は彼女には「接見」の英国に合った演技の仕方も助言してもらう予定でいる。先日お会いした演劇プロデューサーのKさんにも、この国ではそういうアプローチをした方が良いと教えられていた。DEE CANNONの方も「あなたは私に何をして欲しいの?」と聞いてきた。やはり漠然と演技を習うような受身の態勢では駄目なのである。この国の人たちの積極性を見習わなければ

1時半、ロンドン在住の日本女性で、コンテンポラリーダンスをやりながらデザインの勉強もしているSさんと面会。彼女とは知人の伝で日本にいるときからメールでは知り合っていた。4月16日と17日にロンドン市内の教会で落語と「接見」をやることがほぼ決定した。日本のお寺の本堂でもよく落語会があることを思うと、こういうことは洋の東西を問わないのだなと思う。どちらにしろ教会という非日常の空間で表現するのは興味深い試みだ。
待ち合わせしたPicadilyの本屋さんからGreen Parkの日本大使館まで彼女のエスコートで歩く。あらま近い!物の10分もしないうちに大使館に着いた。歩かないと分からないなあ位置関係と距離は。

3時、日本大使館で広報雑誌の取材。とても日本語の上手いイギリス人女性がインタビュアーだった。聞けば1歳から6歳まで日本にいたらしい。どこに住んでいたのか聞いてみると松涛だという。ゲッ渋谷の松涛!あんな超高級住宅地に!「でも私の家は小さなバンガローでした」と言われて困惑。松涛でキャンプしてた訳じゃないわな?!後で調べて分かったが、バンガローとはベランダつきの平屋建ての家のことだそうだ。大使館のZさんも同席して彼は彼で大使館のホームページ用の記事をメモっていたが、途中からは彼の質問の方が多くなった。Zさんには、さしてアカデミックでもない私の体験談や単純明快な今回の意気込みについて何だかとても感心されてしまった。
すでに何回も日本大使館にお邪魔しているので、ここの皆さんとはすっかり顔なじみになってしまった。ただ玄関のセキュリティ担当の黒人の守衛さんだけは、顔は笑っているがほとんど私を信用していない。必ず荷物チェックをするし、行く度に空港のような金属探知機の中を通される。まあ職務だから当然か。私が人の良い顔をした実はテロリストである可能性も0,0001%ぐらいあるかもしれないし。

Sainsbury'sで買った、蒸し鶏のタンドリー風味が旨かった。酒のつまみにも、ご飯のおかずにも合う。また買おう。こういう場合しばらく蒸し鶏が続くことになる。

今日は電車内でも大使館でも空き時間には「接見」第3場の英語の台詞を繰り返す

夜、文化庁に提出するこれまでの活動報告書を作成。これが結構時間がかかった。気がつくと深夜2時である。素早く風呂に入ってビールを飲んで寝ようと思ったら、ウィスキーにも手が伸びてしまい・・・


2月12日(木)
気がつくと朝8時。ソファの上で寝ていた。こりゃ駄目だと思ってベッドで寝直す。
さらに気づくと10時過ぎ。午前中の予定は自主キャンセルする。
スウィフトコールの申込書を作成。
留守番電話のレンタでHendon Centralに行く。Camden Townまで戻る。銀行で今回初めてトラベラーズチェックの両替。写真の焼き増しを注文。英語で焼き増しをReprintと言うそうです。写真屋さんに英語で質問して答えをもらいました。郵便物の投函、スーパーで電球のお買い物。リビングの電球が壊れました。

トラベラーズチェックの両替は銀行によってチャージが違うようなので調べる必要がある。最初に入った銀行でも次に入った銀行でも”うちより他の銀行の方が手数料が安いよ”と別の店を進められた。ま、本当のこと言うとそんなに簡単にBank Clerkの言うその意味を理解出来たわけではない。とんちんかんな質疑応答を繰り返して、やっと手数料の意味を理解したのだ。そういう銀行員の気配りは素敵なのだが、窓口の少なさと仕事ののろさには少々閉口した。こういう創造的ではないが細かい仕事とサービスは日本人は非常に長けていると思う。はるかに日本の銀行の方が段取りが良い。

一旦家に帰って日記など整理して Leicester Squareへ向かう。今宵は林里奈さんご夫婦とジャミルとジャミルの彼女と5人でインド料理のディナーである。
待ち合わせを Leicester Square にある映画人の手形が刻んである場所にした。確かハリウッドにもある、例のあれである。私の好みで英国の名優 Michale Kein の手型のところにした。私が面白がって早めに着いてしまったら、みんなが遅れてきた。 結局 Star Backs に集合場所が変わった。結局普通の待ち合わせだ。

連れて行ってもらったインド料理の”PALMS OF GOA (ゴアの椰子の木の意か?)”は、とても美味しかった。日本人の舌に合わせているのではないかと思うくらいに美味しかった。以前日本テレビの番組で行ったニューデリーの食事のときはそう思わなかったのだから間違いない。第一あのときは毎日カレーの食べ過ぎで4日目には下痢になった。
どうでもいいやそんなこと。
私は久しぶりに外で食事をしたのでお酒が進んでしまう。ワインも美味しい。どうも私だけ良い気持ちになったところで食事が終わってしまい、明日も会社があるしというのでお開きということになった。一人で Tottenham Court Road の駅まで歩く。
こんな日はこれで帰るのはもったいない。Camden Town まで帰って、前々から気になっていた駅前のパブに入ってみる。外で見るのと違って店内には Rock Music かかり MTVも流れている。ラガーのハーフパイントを買って中を見渡せる場所の椅子に腰をを降ろす。一人で飲んでいるのも日本人も私一人だ。中年以上のカップルもいるが、よく眺めていると男同士、女の子同士のグループが幾組か、何となくお互いを意識し合いながらたむろしている。時々その中の積極的なメンバーが先方になって話し始めだしたりしている。これはきっとナンパの場所でもあるに違いない。格好良い男の子も、かなり可愛い女の子もいる。突然羨ましい気持ちになった。きっと俺なんか相当おじさんに見られてるんだろうなと思ったら、がっかりするより微笑ましい気持ちになった。グラスを飲み干し店を出る


2月13日(金)13日の金曜日、それがどうした
Actors Centreの午前中の授業を見学。今日は本校芸術監督のMatthew LloydのExtreem Monologue(最先端の一人語り)のObserve(見学)料金ははるかに安いが体験は許されない。そもそも私の英語力ではとても参加できる代物でなかったけど。
色々台本を渡されて少人数の読み合わせをしていた。結局立って芝居になったり、掛け合いになったり。私にはMonologueには見えなかった。この頃日本でよくやるReadingみたいなものか?本当はそんなに面白くなかったが一応”Im very interested in this class.”と、お世辞を言って去る。

チャイナタウンやSOHOを歩く。裏道を歩き回ると色々発見があって面白い。劇場もたくさん発見。£3.50のチキンカレーで昼食。これは相当安い部類の値段である。でも、とにかくたくさんチキンが入っていた。鶏インフルエンザはイギリスでは遠い遠い対岸の火事。
そういえば吉野家の牛丼がなくなったのを聞いてビックリ。
ハーフプライスのチケット購入。一旦家に帰ってあれやこれや。

夜、楠原さんを誘ってLeisecter Squareで「Dinner」を観る。今回の旅ではウエストエンドの初観劇。映画「家族ゲーム」のようなセット
結末から言ってしまえば自殺を決意したサディスティックなおばさんが、友人たちを招いて狂気的なディナーパーティーをセッティングして挙句の果てには皆の見ている前で執事に自分を刺し殺させるというブラックなコメディー。
小劇場から見出されたのだろう。内容的にも万人向けではないと思うのだが、きっと日本の商業演劇がそうなってきたのと同じだ。こちらでも製作者は模索しているのだ。
芝居自体をすごいとは思わなかったが、こういう作品を取り上げ始めていることに興味は引かれる。評論家の意見か、観客の評価なのかが最終的には興行としても問われるのだろう。私見だが、その意味ではこれは失敗だと思う。

チャイナタウンのはずれの店で焼きそばと麻婆豆腐を食べる。麻婆豆腐はここでも”マーボドウフ”と発音する。へえー。楠原さんの解説を聞きながらビールに日本酒も。

昨日顔を出したCameden Townのパブは11時でお酒販売禁止になっていた。それにしても今日は若い子が多い。おそらく中学生くらいの子がビールを飲んでいる。格好良いバーテンのお兄ちゃんに女の子が群がっている。やはりここはナンパの場所だ。おじさんは早々に去る。
そういえば、昼間に向かい側の店の入り口に若者が行列をなしていた。きっと誰かのライブか何かがあるのだろう。Camden Townの週末はそんな若者でごった返す。


2月14日(土)バレンタインデー
朝から電話が鳴る。出ようとするとFAXだ。嫁さんがバレンタインのお祝いメッセージと風間杜夫さんの芸術祭、読売演劇大賞ダブル受賞のパーティー会場の情報をくれる。色々と気配りありがとう!
それから手作りパスタで朝食。味は瓶詰めのトマト味。結構いける。

駅前の写真屋さんに写真の焼き増しを取りに行く。
こちらの写真屋さんで気づいたこと。
まず基本的に日本の写真よりサイズがでかい。そして最初の現像の値段は普通だが、焼き増しになると急に高くなる。これは日本の逆である。到着間もない頃、知らないで日本の焼き増し料金のようなつもりで引き延ばしとか焼き増しとか何枚も頼んでしまい、後でその値段に目が点になった。これは注意した方がいい。現像が高いなら分かるけど焼き増しは簡単なはずなのに。それにしても日本の焼き増しは相当安い。
その代わりというか大抵の写真屋さんに何らかのサービスがある。例えばフィルムを1本無料でくれたり、お菓子をくれたり、中には無料でCD−Rに落としてくれる店もあった(これはそんなに数はないが)。もちろん注文すればフィルム1本千円くらいでCD−Rに落としてもらうことは出来る。デジカメを失くした失敗をカバーして余りある。第一デジカメと普通のカメラ2台を常時持ち歩くのも大変だし、撮影のときに手間が倍かかる。以上ロンドン写真の豆知識。

この店では店員さんとかなり顔なじみになった。最初に行った日に名前を言ったら、平仮名で”こみや”と書いてくれた。これにはちょっと驚いて質問すると、近所だか隣の部屋だかに日本人がいて仲良くしているので日本贔屓なんだそうだ。こういう出会いは嬉しい。それから、このお店でお互いたどたどしい英語と日本語で話すのがちょっと楽しい。

そのまま週末客で賑わうCamden Townを散策。マーケットは人だらけである。ここは若者の街なので特にパンクロック系の装いの人間が多い。頭を剃ったり尖がらせたりしている奴。唇から鼻からピアスだらけの奴。目の周りのメークがどす黒い奴などである。
何日か前に見かけた女の子は、泣いたんだか汗で落ちてしまったんだか、目の周りのメークがすっかり薄く広がってしまっていて、白黒のはっきりしないパンダのような顔のでぶパンク少女がいた。急に振り返られてその顔を見たときは”何じそりゃ”と言いたくなるくらい驚いた。

いつものようにSaintbury'sで食材などを仕込んで一時帰宅。しばらくパソコンと対峙。

午後7時に楠原さんと待ち合わせの Oxford Circusの駅に。地下鉄もどこで乗り換えたら乗り継ぎが便利かも分かってきたぞ。今日の場合はEustonの駅で乗換えがベスト。ホームが近い。
今日は何事かと言えば、日本食レストランの新装開店のパーティなのだ。楠原さんの言に寄れば、無料で酒と飯にありつけるのだ。しかも味が美味しくて、主人が面白い人で、客筋が良いという。願ったりかなったりだ。

お店の名前は「SOHO JAPAN」。ロンドンに来た時には憶えておいた方がいい。本当に美味しかった。
まず刺身を久しぶりに食べる。美味い!しばらく食べていないので応える。
焼き鳥と焼きそばと、そして寿司も食べる。心ゆくまで食べる。
そして何より焼酎を飲む。”寒の江”を心ゆくまで飲む。全て無料!なんて贅沢なパーティーだったんだろうか

本日話した方々
元バンドマンのKIYO YAMADAさん。我々の世代には「白いさんご礁」でお馴染みの”ズーニーブー”でドラマーだったらしい。20年以上も前からロンドンで商売をしているらしい。とても話の楽しい方だが、夜とお酒の世界に強そうなことも一見して分かる。
そして現在イギリスのバンドでベースを弾いているTACA SAKAIさん。単身この国に渡って来て、自分を売り込むところから始めたらしい。イギリス人の可愛い彼女と熱々だった。
SOHO JAPANの店長。口ひげも背の高さも佐藤蛾次郎によく似ている。自ら焼き物の料理に汗を流して働いていた。
その他色々の方。文字媒体の関係者が多かった・・・ように思う。

2軒目にKIYO YAMADAさんのお店で飲む。まさに日本のお水系クラブ。
しこたま飲んで初めてタクシーで帰る。寝てしまったが着いた。£10.チップを払ったんだか・・・どうか




  [トップ][プロフィール][近況報告][舞台歴][海は友達][掲示板]
[こんなもの描きました][こんなもの書きました]