「ミナミの帝王」ロケ日記 12月6日(木) 明日の朝から撮影開始のため。大阪に先乗り込み。新大阪駅から夜半の地下鉄に乗ったら駅のホームで女子高生が携帯で電話をしていた。当たり前のことなのだが、その会話が大阪弁だ。TVで見聞きする大阪弁じゃなくて、街中の女子高生の喋りが大阪弁なのに少なからず嬉しくなってしまった。なんかやっぱり違う文化圏まで来てるんだなあって感じかな。ただの旅気分だとも言えるけど。 ホテルの部屋で明日の台詞を徹底的にお勉強。深夜NHKの動物番組に見入ってしまい3時過ぎに就寝 12月7日(金)撮影初日 ロケバスで元チャンバラトリオ(このシリーズのプロデューサーの一人でもある)のゆうき哲也師匠にご挨拶 (←左は芸人の大先輩、ゆうき師匠。なんか私には近づき難い雰囲気がある。) ロケ地の喫茶店で主演の竹内力也さんに初めて会う。画面の中のように眼光は鋭いが、あの迫力でロケ朝食用の可愛いおにぎりをほおばっているのがアンバランスで面白い。 最初のシーンは萬田銀次郎に借金を頼むシーン。私の役はかなりテンパっている状況である。周囲に気合い負けしないように根性を入れて芝居する。 午後はコント山口君と竹田君の竹田君や東京ヴォードビルショーの市川勇さんらとの場面。ちなみに今回のドラマのゲスト主役は私と竹田君である。二人は古くからの友人の設定で、金策に困った私を竹田君が裏切る話である。私は借金のカタに大手不動産会社に大事な土地を奪われてしまう、その片棒を担いでいるのが友達の彼なのである。 さてそれでこの日の午後の撮影であるが、今言った3人とも関東の人間である。この3人だけで長い場面を大阪弁で喋る。これはかなり変だった。きっと関西の人が見たらもっと違和感があるんだろうなあ(^0^)そんな中でも私はましな方だと思うけど。 撮影を終えて一旦帰京。明日は静岡の雄踏町で「ストロベリーハウス」の千秋楽である。 ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ 12月10日(月) 今日も先乗り。製作部のKさんに前回教わった近所のコンビニで酒とつまみを買い、部屋に閉じこもる。もちろん今夜も入念な台詞の勉強。実は前回は東京で嫁さんが台詞合わせに付き合ってくれたので助かったが、今回は時間がなくて一人で特訓。こういうのって、本当は誰かにほかの役の台詞を喋ってもらうと効果的なんだよねえ。まあ家族は迷惑かもしれないけど。 ☆ 12月11日(火) 京都の日本海側にある(京都って日本海に面してるんですよ、知ってました。天橋立とか城之崎なんかも京都だし)木津温泉でロケ。大阪の梅田を朝6時に出発して9時半過ぎに到着。 車中では前の席に座った竹田君があの大きなにきび面でずっと話しかけてくるのでなかなか眠れなかったが、1時間半ぐらいして彼も疲れたのかちょっと静かになった隙に無理に眠る。私たちは私的にもストリップ劇場のコメディアン修行時代からの古い知り合いなのでついつい話が弾んでしまうのである。 (→右はご存知竹田君。撮影中どんな時でも冗談を言い放しだった。恐るべき笑売人パワー) 到着後しばらくしてから撮影が始まる。尾羽打ち枯らした私が温泉旅館の送迎バスの運転手をやっているところに、結果的に自分も騙された竹田君が尋ねてくる場面。寒風が吹く中の撮影だったが、かえってそれが厳しい感じの絵になって反映していると思う。 (←この日の撮影現場の雰囲気。左から力さん、監督、竹田君、私の奥さん役の酒井さん、そして私。やっぱり寒そうですねえ) 竹田君を殴る場面が難しかった。私やっぱりアクションは下手なんだなあと実感。それと今回の私の役はいつもテンパってる奴なんで、同じ演技のパターンにならないように注意しないといけない。要はその場面の具体的なハートの問題である。このシリーズの萩庭監督も出演者にそれを力説している。自戒、自戒! 午後は車の運転場面。大型車は運転したことがあまりないので心配だったが、あまり細かい位置取りがなかったのでOK。 撮影終了後、5回にある展望風呂で一っ風呂浴びる。日本海が一望できて最高!海を見ていたら、この寒い中を6人のサーファーが日本海の荒波を相手ににパドリングしていた。でも、ちっとも前に進まない。本人は必死なんだろうなあと感心しながら笑う。 さて、夕方6時から大宴会。今回のスポンサーは実際金融関係の仕事をしているMさん。金にまつわる哲学など、台本作りにも貢献している方らしい。とにかくMさんのお陰で松葉ガニ食べ放題の豪華版の食事。そして酒、またカニ(今度は焼いた奴と刺身)、監督とのお座敷ゲームに負けて一気飲み、またカニ(今度は鍋)と酒宴は続いた。男性スタッフ同士が酔った勢いでキスしたりしている。なんじゃろこれは!? こんな夜はこれで止まる訳がない。ホテル離れのカラオケ屋敷で20人ぐらいで騒ぐ。竹田君が頼まれもしない司会をノリノリでやっていた。私は十八番の「あの鐘を鳴らすのをあなた」を「ミナミの帝王」バージョンの替え歌にして歌った。 竹内力さんがマイクを離さなくなった頃には、みんな主役の歌を聞く気遣いもないほど酔っていた。私は酒が早く回ったので1時頃に就寝した(ようである) 驚くのは、このあと監督と竹田君は露天風呂に行って2時間も話し込んだという。しかも湯当たりしそうになっては湯船で立ち上がり、寒風に耐えられなくなってはお湯に浸かり、これを繰り返して2時間が過ぎたらしい。つわものはいるもんである。 12月12日(水) 飲んだに翌日にしては意外にさわやかに目覚める。出発の9時までに朝食と朝風呂を済ませた。朝の展望風呂はこれまた絶品。木津温泉の紫峰閣さんありがとう!ちょっと気にかかったのは、こんなに美味いものばかり食い続けていたら間違いなく太ることである。と言いつつ、この朝はご飯を2杯もお代わりしていた。そんな様子を竹田君に鼻で笑われる 帰りの道中は、さすがに私も竹田君もよく眠っていた 昼過ぎにホテル着くと、自分で東京から送った着替えやノートパソコンなどの宅急便が届いていた。荷物を広げて配置を考え、部屋を自分流に使い易くする。何しろ今回は長逗留である。 パソコンの電話回線の設定に時間がかかった。部屋の電話を利用するので、ホテルの人に指示してもらう。0発信を自動的に行うラインチェンジャーというものを初めて見た。大阪のアクセスポイントがうまくいかないのでプロバイダのサポートに電話して細かい設定の変更をして、やっとインターネットに繋がった。よしよしこれで日記がつけられる 夕方からホテル近辺から梅田まで散歩する。歩いて10分もしないところに梅田コマ劇場があった。来年のコロッケ版「西遊記」でお世話になるところである。新しくて立派な劇場のようだ。ちょうど良い下見をしながら、阪急かっぱ横丁をぶらぶらする。こういう時の私はきょろきょろしてばかりいるので完全なお上りさん状態である。大学の落研時代にクラブの仲間と大阪に来て、まさにこんな状態でオッサンにぶつかり大阪弁で怒鳴られたことがある(気をつけよう)。 コント赤信号でデビューしてからもう何回となく大阪に来ているのだが、行動範囲が狭いのと滞在時間が短いのとで、あまり大阪の地理のことを知らない。こうやって自分の足で大阪を確かめるのは楽しい。今回はこちらの友達とも色々会うつもりである。 御堂筋を通って、なんかごちゃごちゃした駅のアーケードを通過する。人の混み具合も、何気なく耳に入ってくる言葉も大阪独特の匂いだ。 30分ぐらい歩いてJR大阪駅、これは地下鉄や阪急では梅田駅とほぼ同義語らしいが、その駅前のドでかい歩道橋を渡る。階段を降りると阪神デパート、少し歩いてヒルトンホテル。ここで引き返して大阪駅の横道を過ぎてヨドバシカメラのビルへ。大阪にはこんな大きなヨドバシのビルが出来たんだとびっくり。東京の比じゃない。 ヨドバシのパソコンフロアでOUT LOOK EXPRESSのハウツー本を捜したが在庫がなくてガッカリ。今回も役立つはずだったのに。 ホテルに戻ってから荷物を置いて竹内力さんと飲むことになっていたので再度梅田に向かう。力さんの知り合いのKさんと合流してオシャレな韓国惣菜屋で食事。これがまた美味い。太りそうだが美味い。酒も話しも進む。話していて分かったことは力さんという人は私が想像していたより客観的な人だということだ。決して萬田銀次郎だけを地でいっているようなナルシストではない。ロケ現場も見た上で、私が芝居好きだということも理解してもらえたようだ。 Kさんの友人も合流して、ここからはいわゆるキタのクラブをはしごする。Kさんがなんと太平サブロー君の知人だというので、すぐにサブロー君に電話。向こうも飲んでいたらしいが、義理堅くこちらの飲み会にも顔を出してくれた。久しぶりにサブロー君に会い、また盛り上がる。その頃にはもう一人の元ヤンキーズという漫才師も合流。オネエチャンたちも混じって騒ぐ。力さんが急に物真似大会をやろうと言い出す。面白くなかったら一気飲みの罰ゲーム。これは結構しびれましたね。10何人かいたのに、私にも3回順番が回ってきて、そのうち2回は楽しく大きくハズして一気飲み!元々酔っ払ってたから私でもやる勇気が出たんだろうなあ。だって私は物真似なんか大不得意だもん。最後の1回で笑いが取れたのは、その前に行った店の傍若無人なママの口真似だった。 そんなこんなで私が歌ったり踊ったり、力さんがガンガン歌ったりで明け方になる。力さんがかなりひょうきんな人であることも分かった。私は朝から仕事なのでみんなに見送られてホテルに帰って倒れこむ 12月13日(木)珍しく雨 ほんの数時間前まで飲んでいたので、酒臭いまま起きて仕事場へ。今日撮るのは、それでなくとも資金繰りに悩んでテンパってる場面なのに、現場でさらに気が焦ってしまった。反省! それでも午前中に撮影が終わってしまい、再びホテルに帰って寝る。 夕方起きてこの日記をつけたりする。 ホテルに近所に晩飯を食いに出たら、監督とばったり会う。東京では見かけない立ち食い寿司というのがあるというので一緒に行く。回転寿司より絶対に良い。注文されてから作るから、ネタも良くて美味い。それに監督のおごりだった(^0^) この日は缶ビールを1本だけ飲んで寝る 12月14(金) 快調に目覚めて撮影。竹田君に昨日の朝の顔とはとは別人ようだと言われる。 私が経営しているカラオケハウスの場面の撮影。 十三という町に初めて訪れた。噂には聞いていたがかなり濃厚な町である。池袋をもっと濃くして大きなビルを取っ払って、埼京線をまぶしたような感じかな?いや同じ十が名前につく町ということで東京の十条ってところだろうか?そこかしこで喧嘩が始まりそうな雰囲気だった。ゲリラ撮影していたら鳶のお兄ちゃんが私に話しかけてくるし 大阪のお笑い芸能プロダクションのSさんとホテルのレストランで会う。赤信号がデビューしたときからの付き合いである。プロダクション社長のMさんも一緒だった。ムチャクチャ懐かしくて話が弾み、昔話や現在の話しやあっちこっちに話題は飛んだ。私だけお酒を飲んでいたので勢いがついてしまい、元漫才師の前田写楽、通称”しゃあやん”の店へ行く。場所はミナミ。ここでまた盛り上がる。特に、しゃあやんが勝手に”捨てられた女”になったり”借金で逃げてる男”になったりとアドリブでネタを振ってくるので、こちらも負けじとアドリブ演技で応戦する。私ら二人はどんどん盛り上がるのだが、周りの客が戸惑って帰り出した。それでもかまわず続けていたら、気がついたら店には私ら二人だけになっていた。それでもさらにアドリブ合戦は軽く1時間は続いた。酔っているとはいえ、恐ろしい始末である。 (→右の赤い顔をしたのが写楽君。この写真は誰かに撮ってもらったのだから、まだこのときは他のお客さんもいた。この後もっとどうしようもない酔っ払い顔の二人になっていくわけである) 12月15日(土) 撮休。なのに起きたのは昼過ぎ、半日無駄にした。 無性に関西風のうどんが食べたくなり、うどん屋を捜す。しかし捜すとなかなかないもんである。阪急かっぱ横丁をぐるぐる歩いて、どうってことのないチェーン店に入る。もっと美味いうどんが食いたかった。 美食が続いて太り気味の体重を調整しようと、梅田ヒルトンホテル内のスポーツジムへ行く。筋肉がグワッと盛り上がった本格的な人ばかりで気後れしてしまい、一汗流したぐらいで退散してきた。 昨日会ったSさんから電話が入り関西風”うどんちり鍋”の店に連れて行ってもらう。ここは美味かった。そこでお笑いスター誕生で10週勝ち抜いたこともある青芝キンタ君と再会。これまた懐かしかった。彼は現在コミックマジックでコンビを組んでいるらしい。『マジックなんか出来るんだ?』と聞いたら『出来へんよ』と軽く返事がきた。それじゃどんなステージをやってるんだろう?深く考えずに会話は進み、そのまま彼の友人の店に行く。キンタ君の車で拉致されるように行ったので、場所ははっきりしないが、その辺の近所の親子会のパーティがやって来てかなりうるさかった。それじゃこっちもと騒いで深夜に至る。 12月16日(日) 眠い体を無理に起こして迎えの車に乗り込む。今日から撮影に参加するベテラン俳優の大出俊さんが先に乗り込んでいらした。 梅田の辺りを通って、扇町ミュージアムスクエアも過ぎて、東へ進んで今福という町の辺りに到着。鯰江(なまずえ)という変な名前のバス停があった。こうやって我々俳優は知らない町を拉致されるように移動するのが常なのである。だから自力で移動しないとせっかく訪れた町のこともほとんど分からないことが多い(余談ながら)。 休日のビルを利用させてもらって、大出俊さんが社長に扮する大手不動産会社の社内の場面を撮る。普段は色悪(二枚目の悪役のこと)の役が多い大出さんは、今回もかなりの悪役である。しかし芝居はさすがベテランで、それに関西弁も上手い。いまだに出鱈目な関西弁しか喋れない竹田君とは大きな違いだ。 午後はビルの外で竹田君に裏切られる場面。この日の屋外は寒かった。衣装が薄手のウィンドブレーカーだった私はちょっときつかったが、ここは気合いでグッと耐える。竹田君 が何度かNGを出しているうちに、彼の関西弁の台詞を私の方が先に理解して覚えてしまい、逆に竹田君が自分の台詞を私に確認してたりする。この様子を見て監督と方言指導の方がニンマリしていた でも結果的には寒いのが功を奏して、友情と裏切りの辛い場面が良い感じで撮れたとは思うんだけど。 ロケが終わってから、なんばの新歌舞伎座に行く。田川寿美と宮川大助・花子の座長公演をやっている。だが、お目当ては第2部歌謡ショーの”しゃあやん”の司会を見るためである。1部と2部の休憩時間に大助さんと花子さんにも挨拶に行く。 さてお目当ての司会は、やはりその道のプロである。いつも関西弁の彼が標準語を喋っているのが少しこそばゆかったが、さすが慣れたもんだった。そしてこの日の特別ゲストは氷川きよし。彼が花道のセリ穴から登場すると客席は一段と賑やかになった。ペンライトが盛んに振られる。追っかけも多いようだ。さすが時の人だ。 滅多に見ない商業演劇の歌謡ショーなんかも堪能して、しゃあやんと彼の奥様も同伴で焼肉屋へ。通風なのにしゃあやんはホルモンをバクバク食べていた。こちら大阪の肉はレバ刺しでもカルビでもとにかく分厚い。そして美味い。狂牛病のことなど気にせずむしゃむしゃと食べていたら、『力です』と野太い声で携帯に電話が入る。「ミナミの帝王」ご本人から”ミナミで一緒に飲みませんか?”というお誘いである。しゃあやんも行きたいというので合流することになった。 そこはとにかくゲイバーだった!しかもかなりオシャレなゲイバー!黒人の従業員もいた。高そう!(後で他の人に聞いたら、かなり芸能人御用達のお店だったらしい) すでにどこかのオネエチャンたちも大勢いて、私としゃあやんはちょっとビビッた。特にしゃあやんは、力さんが監督やスタッフが一緒に飲んでいる普通の飲み屋にいるもんだとばかり思っていたらしいので、場違いな雰囲気に急に借りてきた猫のようになった。しかしこうなったら無理に盛り上がるしかない。すすめらるままにテキーラなんかを一気飲みしたりする。焼酎もほとんど生のままで飲む。そして無理にマイクを持って歌う。椎名林檎を歌う。終始声のひっくり返った「歌舞伎町の女王」だ。呆れたしゃあやんが「それ会うてんの?」と聞いてきたが知ったこっちゃない。かなり無理をしたのだが、出遅れた私は、この日はあまり酔えなかった。 こんな日は早く帰った方がいいのだが、もう一軒だけ寿司屋に付き合うことになる。私も仕様のない奴だ。 12月17日(月) 肝臓を休めるためには寝るのが一番。ま、飲み過ぎない方がもっといいけど。てな訳で、いつもの如く昼までよく眠る。そう今日も撮休である。 かきフライ定食のブランチを食べてから地下鉄に乗って出発。目指すは大阪港の海遊館。ジンベイザメのいる水族館である。知らない町の電車やバスに乗るのはちょっとウキウキだ。この日も地下鉄が途中から地上を走り始めたら、いわゆるベイエリアの景観が見えてきて嬉しくなってくる。 海遊館の入場料は¥2000と、ちょっとお高めだが、見応えは充分ある。ジンベイザメが悠々と泳げるような特大の水槽を取り囲むように、螺旋の展望順路が500M余り続いている。その間に何度もジンベイザメや太平洋の大小様々な魚たちの泳ぐ姿を眺めることが出来て、他にも環太平洋の北から南の冷水域や温水域の魚、日本を始めとして世界の淡水魚、川辺の小動物たちの姿も見ることが出来る。釣りやダイビングが好きなだけに、水族館は色んな所に行ったことがあるが、見ていて飽きない。 2時間弱で見終わり港をぐるっと一回りする新しい路線で梅田まで帰ろうとしたら、時間がかなりかかるし乗換えが面倒くさいこと、さらに料金がかさむことを駅員さんに説得された。仕方がないので来た方向を逆戻りのの地下鉄中央線に乗る。 梅田で再度スポーツジムへ。平日なのに、(いや平日だからなのか?)この間より混んでいた。エアロビクスダンスのコースに男性も大勢混じって汗を流していた。そんなもんなんだねえ。器具の順番待ちとか、扱いにくさも手伝って先日よりは汗を流したかなあという程度で退散。 ホテルに戻って明日の台詞の稽古と日記書き。しばらくして明日の相手役である市川勇さん連絡してホテル近所の飲み屋で一杯。閉店のため帰って寝る。おとなしく寝る。 12月18日(火) 予想通りに早起き。外で朝食を食べ読書と日記書き。11時半に集合がかかり迎えの車へ。 関西国際空港の日航ホテルで撮影。関空に初めて来た。大阪市内からベイエリアを抜けてちょっとしたドライブの後到着。控え室がかなり豪華なツインのスウィートだった。スタッフも役者も代わる代わるとりあえずどんな部屋なのか全てを開けて確かめている姿がおかしかった。もちろん私もだけど。化粧鏡が置いてあったクローゼットの部屋なんか私だったら使いきれないだろうなあ。 市川さんに支払いを待ってくれと頼む場面をロビーで撮影。他の場面よりは懇願具合を抑え目にしておいた。この日は順調に撮影が進んでホテルに戻る。 話が飛ぶが、今回の撮影チーフカメラマンのMさんは出来る人である。おまけにカッコ良い。パイプなんか燻らせて、この日もオシャレな皮のパンツ姿で決めていた。余談 夜。制作のTさんの号令で俳優部の方と一席設けましょうというので部屋で待機。帰りの荷造りを始め、余った時間はパソコンで日記。 夜7時から竹田君、大出さん、市川さん、Tさん、そして私の5人、ホテルの地下の可愛い居酒屋で飲み始める。ホテル内にしてはリーズナブルなお値段。それぞれの今回の撮影の苦労話やらで盛り上がる。そこへ監督から電話。ミナミで飲んでいるからというのでタクシーを飛ばして合流。初めて大阪のキャバクラを覗く。確かに若くて可愛い子が多いのだが、15分ぐらいで早々に交代していくので、同じあいさつ話を何べんも最初からやり直さなければならないので参った。呆れて他の客を観察していたら、オタクのような若者やかなりの高齢者も混じっている。中でも眼を惹いたのは二人の女の子相手にトランプしているおっさんだった。それも手品かなんかをひけらかしている。色んな人がいるもんだ。皆さんそれぞれ一様に盛り上がって解散。私は市川さんを誘ってしゃあやんの店にまた顔を出してしまった。だって次の日は昼過ぎからの撮影なんだもん。 12月19日(水) いよいよ最終日。撮りが押したのもあってゆっくり起きて充分間に合った。滞在で使った荷物をほとんど宅急便で東京に送る。 迎えの車で下町っぽい街まで拉致される(^0^)オフィス用の雑居ビルの一室が撮影現場だった。ビデオでも何度か見たことのある部屋だ。思ったよりは狭い。ということは撮影の技で広く見せているというわけだ。成る程。 (←力さんにカメラを向けたら、すかさずこんなポーズに。この写真だけ見たら本当にこんな人にしか見えないけど・・・。でも、もっと細かい奥のある人ですよ) さて、今日はドラマとしても最終場面。ゼネコン不動産会社からせしめたお金の札束が机の上に数千万円とある。すごい金額だと一瞬思うが、もちろん表面だけで束の中身は新聞紙か何かだろう。でも相当うまく細工してあるので、本物の札束に見える。 (←札束を前にしておどけている我ら。でも力さんはやっぱり渋い顔をしている。後方の赤い服は山本太郎君) さあー、緊張と緩和の場面が刻一刻と撮り終えていく。最後は弟分の山本太郎君の駄洒落で終える台本なのだが、監督が最後にこの駄洒落を私と竹田君にも振り分ける。つまり親父ギャグを振り分けて、共同責任オチにしようということである。少々アドリブ気味になってきたので、ニュアンスが難しくなってきた。1発目の撮りは監督が微妙に気に入らないらしくて取り直し。やり直してOK! これで私の撮影は全て終了である。普通のドラマだと、ここでADが大声で「小宮さんオールUPです」とかなんとか叫んでひとしきり盛り上がる。威勢のいい時は花束をプレゼントされたりする。でもこのVシネの場合は撮影スケジュールがタイト(短く詰まっていること)なのでスタッフはすぐに次の段取りの準備に入っている。 私は、大きな声で感謝を込めて「お疲れ様でした、ありがとうございました」と発して控え室に去った。帰り際に監督の顔が少し微笑んでくれた。もうそれで充分である。後は初夏の発売を待つばかりである。俳優の仕事はここでおしまい。 心をちょっぴり残して新大阪に向かう。今回は延べ日数10日以上の大阪滞在である。ドラマ関係の撮影としては私にとってはかなり長い滞在だった。でも、もっとみんなと話したかった気もする。まあ仕方ない。半年後のビデオの出来に期待するばかりである。 (←撮影最終日の合間に記念のスナップ。私の左隣が方言指導の宇野ポテトさん。さらに左が山本太郎君。そのまた左はおどけなけりゃ気のすまない竹田君) 完 ―以上で「ミナミの帝王」日記は終了である。最後の方はずいぶん日が経ってから書いたので記憶が定かでなく、走り書きになってしまっているところはご勘弁あれ。 《追伸》19日はその後、新大阪駅で大阪土産を慌てて買う。こういうことは結局最後になって慌ててしまうことが多い。自由軒のカレーセット、京都の壬生菜のお漬物、バナナとチョコレートの”おたべ”の食べ物お土産3点セットを買う。 最近大阪名物になったらしい”たこ焼きが我が家でも作れるセット”みたいのがあった。これにはかなり食指が動かされたのだが、大荷物になってしまうのと、きっとたこ焼きを作って嬉しいのは初めだけでそのうちその鉄板器具が邪魔になるだけだろうと思い直して踏みとどまった。この選択は多分正しかったろう。 ※こういうのを弾みで買ってしまおうと思うのは親父譲りの性格なのだろう。似たようなことで、私が子供の頃に父と母が喧嘩していたことを思い出した。 |
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