クレージーホスト・リターン北海道旅日記 ↑今回のお芝居のラストシーン。「クレージーホスト」はいつも全員のワルツで終わる。曲は下田逸郎の「セクシー」。音楽も踊りも照明もラストは美しく締めるのである。 5月29日(火) 「クレージーホスト・リターン/2001」の旅の始まりである。 羽田空港6番時計台に3時集合。空港行きのリムジンバスが殊のほか早く着いてしまったので、私は2時ちょっと過ぎから集合場所で待っていた。でも気の早い連中は他にもいて続々と人が集まる。 三田村さんは既に缶ビールを飲んでいた。驚くのはそれだけではない。空港で食べるためのお酒のおつまみ用の煮物を自分で作り、ご丁寧にタッパーに詰めて準備してあったことである。三田村オジキ恐るべし(^^;)これじゃ私も飲まないわけにはいかない。4時出発の頃には私も良い気持ちになっていた。 日本の東端の北海道でもまだ日の明るいうちに中標津空港着。あまり飛行機に乗り慣れていない名古屋人の佃くんが、離着陸で嬌声を上げていた。中標津では、今回の旅の先導人であるお馴染み北海道演劇財団の新堂さんが待ち構えてくれていた。 明日の公演先の根室までは、行程1時間半のチャーターバス移動。もちろん途中のコンビニで、このコンビにもすぐそこにありますと言われてから随分捜したんだけど、そこで缶ビールやら何やらみんなが飲み始めた。気分は間違いなく宴会状態となった。ま、率先して騒いでいたのは私かもしれないが(^^ゞ そのままの勢いで根室に到着。私は初めて訪れる場所である。 今日から根室でお世話になる宮腰さんの紹介で居酒屋さんで食事。最初にホタテの刺身が出てきた。美味しい!ここまでは良かった。ここから先、私は正直に言わせてもらう。もちろん根室市民の皆様のために弁護もしておく。今のこの時期は根室ご自慢の新鮮な海の幸の逸品が捕れない時期であるらしい。で、その後からの食べ物であるが、”北海道といえば、いつだって新鮮な海の幸”と勝手に思い込んでいる旅人としては残念ながら満足できるものではなかった。魚も肉も野菜も、煮物やら貯蔵用の献立ばかりだった。ご飯も普通のおにぎりだった。期待が大きかった分、ちょっとがっかり。敢えて、その中でも話題になっていたのは”ホヤ”の塩辛。これはいけるとホヤ好きは語っていたが、私は苦手なのでパス。それと北海道で初めて食べたシャーベット状の行者ニンニク。野沢菜を半分凍った状態で食べるのと同じ感覚であろう。これは珍味なので心に残った。 さあ、これから飲みに行くぞということになったが、今回のキャスト・スタッフ集めて30人ぐらいがほぼ全員が揃っている。これでは行動が取りにくい。自然とバラけることになる。私はロシアの女の子のショーがある店に行こうというグループに参加することにする。いざ店を捜してみたら、さっきの居酒屋の3軒ぐらい隣りだった。根室は飲み屋街一点集中主義の町であった。で、キャーキャー騒ぎながらショーを見ていたらダンサー3人のうち白人は一人で、2人はフィリピン人。その一人のダンサーも実はルーマニア人だった。彼女は踊りがやけに上手かった。顔は小さかったが、お尻は大きかった。 よし、もう一軒行こうということで、真向かいの店に入る。10歩も歩かなかった。根室の飲み屋街ははしごし易い。酔ってきたなと思ったら、3時過ぎにはもう既に夜が明けてきた。北海道は朝が早い!こうなったらもうちょっと飲んでやれと店を変えた時には、私と菅原大吉、渡辺哲の3人だけであった。3人はこのまま朝に溶けていくのである。 5月30日 昼過ぎに起床。おそらく菅原・渡辺哲も同じような行動だったろうと思う。 水谷さんやらでんでんさんたちは日本最東端の納沙布岬を見に行った。ここまで来たら霧にむせぶ納沙布岬を当然見ておきたいものである。私も電話で誘われたがとても起きる気がしなかった。 納沙布岬は見られなくても、海大好き人間の私としては、せめて根室漁港ぐらいは見ておこうと散歩に出る。ホテルの部屋からもオホーツクの海は見えていた。そう遠くはなさそうだ。ホテルを出て大通りを数分歩くと市庁舎が見えてきた。”返せ!北方領土””北方領土は日本の領土”の看板や見出しが目に付くようになる。 市庁舎のすぐそばの大きな広告塔。市庁舎の屋上にも”北方領土は日本の領土”とどデカイ看板が張ってあった。 国後・歯舞が目と鼻の先にある根室では北方領土問題は日常問題なのであろう。もちろんここにはロシア人も多く来ているし、根室の人は国後・歯舞に行ける観光ツアーもあるらしい。 ※※※豆知識。国後は国後島という島がある。でも歯舞には歯舞島という島はなく、大小の島を合わせて歯舞諸島という 散歩の途中で、ここはどうだろうかと回転寿司に入ってみる。 残念ながら大失敗。ほとんど食が進まなかった。でもきっとこれは時期が悪かったのだと思う。根室には根室の美味しい季節があるに決まっている。何もかもを一緒くたにしようとしている私が間違っているのだ。 海に向かって坂道を下りて漁港の端に出る。本州ではもうあまり見られない小さなテトラ、強い風の中でまるで止まっているように飛んでいるカモメ。海岸線の長い砂浜も眼に入る。たっぷり北の汐の香りも吸い込んだ。漁港は新しい建造物の工事で忙しそうだ。そろそろ引き返そう。急に便意も催してきた。タクシーでホテルに直行。 今日の会場は根室市総合文化会館小ホール。300席ぐらいの、ちょうどお芝居のやり易いホールである。開演前に台詞合わせ。東京公演から数日経っているので、水谷さんが念には念を入れた。夜7時開演。根室公演は初めてだし、物語はいきなり続編のお話である。前半はストーリーを聞き漏らすまいと真剣に見ているためだろう、お客さんの笑いは少なめだった(映画の「グラディエーター」のギャグが分からなかったらしいのにはちょっと驚いたけど)。でもショータイムが始まってからは客席の反応もかなり盛り上がってきて、カーテンコールは大受けだった。特に唯一の若手の渡部くんには客席から”カッコイイ”と黄色い声援も飛んでいた。舞台上のおじさんたちは口惜しさで気が気ではなかったようだ。 終演後、ログハウス風レストランで食事。いかにもアウトドア好みのマスターおすすめの料理が出る。中でも幻の魚イトウのルイベは逸品であった。知り合いがルアーで釣ってきたものらしい。切り身の状態から想像するに7〜80センチぐらいの大物ではなかったろうか。十勝ワインをたらふく飲んでから、一点集中主義の飲み屋繁華街に数人で繰り出す。今日は石井も参加である。大いに飲んで大いに騒いだ。ローソクショーもやってしまった。服を脱ぎ捨て店から飛び出したりもした。また北海道の早い朝を迎えた。今日は海津・佃の両氏も朝に溶けていった。 5月31日 連日の明け方までの飲みで疲れ気味だが、ラッキーなことに今日は移動のみで助かった、と思ったらこの移動がかなり疲れた。 まずバスで根室から中標津空港まで来た時と同じように1時間半。この乗車時間より昨夜の酒が残っているでんでんさんがずっと喋りっ放しで眠らせてくれない。これは結構こたえた。空港には余裕をもって到着したために、2時間近くの待ち時間。ボーっとしてるので、食堂でだべりながらなんとなく過ごす。大したことは喋ってなかったが、札幌で麻雀をやろうということだけが決まった。 小さなジェット機で千歳空港まで40分。道内の移動に飛行機を使うのだから、やっぱり北海道は大きいんだろうな。ただこの日の飛行機は揺れに揺れて、疲れた体と精神にはこたえた。 千歳から札幌のホテルまでバス移動1時間。さすがにこの頃には全員疲れ切っていて、皆さん熟睡のようだった。ほとんど全員が起きたのは、三田村さんが携帯電話で大きな声で喋り出したのがきっかけだった。まるで土建屋の社長のような横柄な態度で札幌の間違った知識を語っている。これから到着する「すみれホテル」のことは「かすみホテル」になっていた。札幌出身なのに不思議な人だ。 4時前にホテルへチェックイン。でんでんさんの要望で休む暇もなく雀荘へ直行して約束の麻雀が始まる。参加したのは8人。でんでんさん、渡辺哲さん、三田村周三さん、有薗芳記の4人が上級メンバーで卓を囲む。私と石井、佃典彦、新納敏正の4人は栄えある弱者チームである。東風戦回しの早い麻雀。上級者チームはどんどんゲームが進んでいくが、弱者チームはは亀の行進である。ゆっくりツモッて、ゆっくり考える。おまけに悩む、嘆くは、子供のように歓喜もしたりする。それでも勝ち負けは決まって弱者チームは佃典彦の一人勝ち。私は後半挽回したが、−40。新納ちょい負け、石井は大負けという結果であった。 さて皆で麻雀を切り上げ、日本VSカナダのサッカーをTV観戦!しようと思ってホテルに戻ったら、でんでんさんと哲さんが駄々っ子のように「腹が減った」とうるさいので、佃、新納、有薗らと合流して居酒屋で食事。 その後、私と有薗は石井に連絡を取って「淋しい都」の旅日記に何度も登場してくる菊池くんらと合流、ススキノの西鶴寿司に行く。以前の失敗(「淋しい都」の旅日記を参照)を繰り返さないように単品ずつ頼む。トロサーモンをちょっと火であぶった寿司、イカ刺しを蟹の内子で和えたおつまみ、アボカドの逆巻き寿司等々。どれも美味しい。”北海道はこうでなくっちゃ”とやっと思えてきた。特に西鶴寿司は安くて美味しいのでお奨めと菊地君は言ってました。途中から平良政幸、海津義孝、木村靖司、三田村周三のメンバーも加わり、そのまま夜のススキノで溺れることになるのであった。 6月1日 今回の旅で初めてホテルで朝食を食べた。普通の和食バイキング。疲れを取るために2度寝をする。昼に起きて、ホテルの近所の「龍宝」で塩ラーメンを食べる。ここのラーメンは合格点以上だと再確認をする。 2時半から北海道UHBのTVで今回のお芝居の生放送宣伝にゲスト出演。5分の短いコーナーに石井、三田村、私と3人で出演。何の番組のどんなコーナーだったのかもはっきりしないが、私らの背景には1歳児くらいの子供とお母さん達がはしゃいでいた。 4時に道新ホール入り。あらかじめ舞台監督の武川喜俊さんに注意されていたので知ってはいたが、それにしても舞台が予想以上に狭い。芝居の動きも変えざるを得ないので、水谷さんの指示の元に最初の場面から気づいたところを洗い直す(このお陰で、却って芝居の流れが良くなった場面もあった)。 7時、ほぼ満員(600人強)のお客様の前で芝居が始まる。この人数は東京公演を含めて最大の動員である。果たして大勢のお客さんだと大いにウケる。根室でウケなかった「グラディエーター」も爆笑。演者の顔も明るく芝居も軽い。 嬉しい気分のままで、”北海しゃぶしゃぶの”ラムしゃぶ食べ放題へ。明大落研先輩の出口さんも楽屋に訪ねて来てくれて、一緒に参加。ここの部屋のセッティングが少し変わっていた。広間にポツリポツリと離れてテーブルがあり、それぞれに2〜3人用のしゃぶしゃぶ鍋がある。必然的に、会話が弾むというよりは、ただがむしゃらにラム肉を頬張ることになる。散発的なギャグが軽い花火のようにあって、後は食うのみだ。確かに生ラムのしゃぶしゃぶ肉とモヤシの組合せは美味かった。生肉スライスのお代わりをそれぞれ景気よく頼むが、普通おじさんたちはそこまでである。皆腹いっぱい状態になってしまったが、ただ一人の20代出演者、渡部遼介は3回目のお代わりも平気で平らげていた。肉ばかり食べているのでテーブルの同席者に文句を言われてはいたが、そんなことはお構いなしで得意の意味不明の笑顔で受け流し、あっという間に胃袋に流し込んでいく。20代恐るべし。 2軒目はそれぞればらけた行動となり、私は出口さんの紹介でアマチュアバンドマン演奏自由のミニライブハウス「あつき」に入る。マスターが箱バンのリードギターで、ドラムは高田聖子似の女の子。この子は昼間はトラック野郎だというので驚いた。ベースは、これがベースを始めてから1年とは思えないほどのテクニックのちょっと太めな女の子。それにこの子の声が馬鹿に良かった。ビートルズの「Oh darling」を歌ってくれたのだが、声量と音域は特筆すべきものがあった。演奏時間以外に彼女らと話をしたが、これがまた面白い。話が下ネタに広がっても、そらすどころか一層間口と奥行きを広げてくる。エライ。 有薗から呼び出しがあって3軒目に、そこは札幌の俳優、斎藤歩くんがよく来る店らしかったが、我々が着いた頃には皆さんへべれけで10分もいなかったのでよく覚えていない。 さらにこの後、私と出口さんと平良は最近札幌で話題になっているらしい味噌ラーメン専門店「けやき」(南6条西3丁目仲通)でシンプルな味噌ラーメンを食べる。酔っぱらった後に食べたくなるような濃厚な味だということは分かる。油も濃厚。平良と出口さんが実に美味そうに食べていたが、私は飲み過ぎで舌が馬鹿になっていたので正常な判断はつけられなかった。それにお腹いっぱいでちょっとしか食べられなかった。いつか再挑戦しよう。 6月2日 疲れがたまっているのか目覚めが悪い。朝食をパスして11時過ぎまで睡眠。この日はマチネ公演なので、近所の店で日替わりランチを食べる。なんかカツカレー定食だった。なんか取り立てて評することのないランチだった。でも安くて680円。 ホテルに戻ると、出口さんがこのHPの掲示板の新しい書き込みをプリントアウトしてFAXしてくれていた。感謝(^。^) 2時に道新ホール2回目の公演。昨日よりお客さんも少なめで年齢層も高いのか、幾分反応が悪い。こんな時は気にしないことである。取り返そうと頑張るとエライ目に会うことがある。 今回の公演ではカーテンコールで あ、左のような状態ねえ。これ今回のカーテンコールの図 今回はそこで役者の紹介をやっている。もちろん進行は石井であるが、結構ボケたりして面白い。こんなときの大ネタはやはりでんでんさんである。当然普通には呼ばれずに”会館のおじさん”と紹介されて客席は大爆笑である。最後の尻尾までアンコの詰まった鯛焼きみたいな感じで芝居は終わるのである。サービス精神のある劇団だ。 終演後全員でススキノにある温泉「ジャスマック」へ。風呂に入って、飲んで食べてサッカーを観てのツアーに行く。 私はその前に出口さんの勤め先、「淋しい都」の公演会場だった”かでるホール”の事務所に寄って掲示板のレスを書き込みに行く。パソコンの、というよりワープロソフトの違いで意外に手間取るが、この日に書き込みできたのはラッキーだった。出口さんのお陰である。日本酒の銘酒、久保田の碧寿もいただいた。持つべきものは札幌在住の大学のクラブの先輩である。 5時私もジャスマックへ。その後の災難のことも知る由もなく駆けつけた。 私が到着した頃には大半のメンバーがサウナで汗を流していた。ここの名物は塩サウナである。全身に塩をなすりつけて汗をかく。顔と局部の先以外は塩だらけにする。先に入っていた新納が「小宮さん、チンチンの先にはつけないで」と真面目に騒いでいるのが可笑しかった。汗だくになっても最後まで粘っていた朝倉伸二に対抗して私も我慢してサウナ室に入っていたが、彼が出て行ったのでたまらずに私も出た。もう汗ダラダラである。乾いたままの体に塩粒をこすりつけた筈なのに、すでにベトベトになっていた。その頃、二条市場で買い物をしていた水谷さん、でんでんさん、佃くんも合流。たぶん女子風呂では麻乃佳世さんも合流したのだろう。 私は特別サウナが好きでもない。特にサウナの後の水風呂はヒヤーッとするし、ドキーッとするし、グッターリするから苦手である。その昔、コント修行時代には”ゆーとぴあ”のホープさんによく連れて行ってもらった思い出がある。JR山手線の駒込駅前のサウナロスコ。うーん懐かしい。でも最近はほとんど行かない。ましてあの頃は我慢して入っていた水風呂には絶対と言っていいほど入らない。と、しばしサウナの思い出でした 風呂から上がって宴会場でフルメンバーで大宴会。風呂上りの生ビールは美味いが、ここは食べ物も結構美味い。前々回の「星屑の町4」の時にも皆に好評だった。 さらにワインでも、というところで、寒気がきた。サウナ浴衣の下にTシャツも着込んではいたが、予防で上着を羽織る。サウナの宴会場で上着を着てる奴なんて普通いない。当然のように皆から「おかしいんじゃないの」と突っ込まれる。しかし寒いものは寒い。実は下北沢公演の時から時々寒気は感じていてそれなりに用心はしていた。でもなんとなく、疲れと年と、酒とボディビルのせいにしてそのままにしていたのだ。 7時過ぎサッカーのコンフェデ戦(?)日本VSカメルーンが始まる。大のサッカーファンは大型TVのある場所へ移動。普通程度のサッカーファンは「後で行くよ」と言ってまだ飲んでいた。サッカーファンとも呼べない奴らはそのまま動こうともせずに飲み食いしていた。私ははっきり3番目の種類の人間である。この時期何故日本人チームが外国と戦っているのかもよく知らない。どちらかと言えばこの日のヤクルト巨人戦の方が気になる。そう、私はヤクルトファンなのだ。 新納が今日もちょっとの酒でべろべろになり、他人のことで大笑いしたり、文句をつけたり、感心したり、すねたりしだした頃、サッカーはほとんど終わりかけていた。大のサッカーファンの石井が「おまえらそれでも恥ずかしくないのか?サッカー観ろよ」と半ば怒鳴り込んできたので、仕方なく普通程度のサッカーファン以下の人間も群れをなして大型TVの前まで移動。得点は2:0で日本がリードしていた。石井が興奮するのも分かる気はした。にわかファンも含めて、画面の中のプレイヤーがゴールエリアにごった返すたびにワーワーキャーキャー言いながら2:0のまま試合は終えた。予想が当たっていたのか、でんでんさんが得意そうだった。 これ以上温泉にいる必要性もなくなり移動を開始。麻雀組と飲み続け組の半々ぐらいに別れる。私は麻雀組に参加。先日も行った雀荘で打ち始める。卓は今日も2卓8人。私は、石井、有薗、海津義孝の面子。海津さんは10数年ぶりに麻雀をやるという。もう1卓は渡辺哲、朝倉、新納、佃の面子。麻雀の強い有薗(私はこの座組みの中では一番上手いんではないかと思っている。こいつがふったところをほとんど見たことがない)もいることだし、真面目に打たなくちゃとアイスコーヒーを飲み始めたら、また寒気がぶり返してきた。体が寒気を感じた頃には、運気も悉く逃がしていた。東風戦の早い麻雀では数少ないチャンスを小さなミスで逃がすと取り返しのつかないことになると気づいた頃には負けが込んでいた。やはり有薗は強いし、石井は今日はのってるし、10数年ぶりの筈の海津さんは手順が遅い割りにはゲームにはきちんと目が行き届いている。私の得点表にはマイナスが続く。たまのプラスも2着の一桁台である。 この日一番痛かったのはリーチしてきた石井に対して、一牌切れているから安全牌だと思って出した中(チュン)でロンされ、それが実は小三元、白・發アンコ持ちで、中の単騎待ちだったことである。しかも石井は親。このときのドベはきつかった。 そしてその頃寒気はどんどん増してきた。どうも寒いなと思ったら夜中なのに窓も開きっぱなしだ。 熱い日本茶を何杯も注文して気合を入れ直したが、勝負運は動かず、微妙なトップ目も転がってこずに結局私の一人負けで終わる。普通だったら”もう一回”と言いたいところだったが、あまりの寒気に続行する気もしなくて、自ら終わりを宣言。 ホテルに戻って、フロントに毛布を2枚注文して、風邪薬を飲んで、枕元に着替えを用意して、浴衣の下にもトレーナーを着込んで、気合を入れて寝る。なんとしても風邪をひいちゃいかん。! 明け方、汗びっしょりになり着替える。さらにもう1度布団が汗びっしょりになったのでツインのもう一つのベッドに新たにベッドメイキングし直して、再び風邪薬を飲んで、根性で寝る。いや寝ようとする・・・ 6月3日 次の日の朝、というか、寝たんだか寝ないんだか朦朧としてベッドから起き上がった。午前11時。最悪、完全にダメだ。全身に悪寒、ひどい脱力感。典型的な風邪の症状。ふらふらしながらも身支度をし、早めに移動のバスに乗り込み、窓際の席にへたり込む。今日の行き先は苫小牧だ。一見して風邪でダウンの私に仲間が心配そうに声を掛けてくれる。最初のうちこそ言葉少なに「ダメです」と返事をしていたが、そのうちただ黙っているだけになった。答えるのもしんどい。マネージャーの近藤と演劇財団の新堂さんが苫小牧の病院の手配をしてくれていた。 12時バスは出発。外はとても良い天気のようだった。頭をもたれた窓から暖かい日差しを感じた。1時間の移動で体が汗ばんだ頃に到着。苫小牧は作・演出の水谷龍二さんの生まれ故郷であり、3年前に「星屑の町」でも訪れた町である。 宿泊先のホテルにチェックインすると、3年前に見知った(内海善文さん)方が迎えに来てくれて、そのまま私を病院まで送ってくれた。休日なので人気(ひとけ)の少ない病院で真面目そうな若い男のお医者さんが診察してくれた。結局熱も38度ぐらいあって、会場入りまでの2時間ほどの間点滴を受ける。窓際のベッドで日に当たりながらじっと横になる。点滴状態だと寝返りも楽じゃない。隣りのベッドでは体に何本も管を挿されたお年寄りが苦しそうに咳き込み、喉を詰まらせている。こういう時ほど健康が一番だと誰しも思うものだ。私も思った。これは後で判ることなのだが、実はその部屋は面会謝絶の部屋だった。つまり最重症患者と一緒に私はベッドで寝ていたのである。ちょっと恐ろしい。 病院を出て、5時楽屋入り。食欲はなかったが、地元の公演のお手伝いの方が作ってくれたおにぎりを無理に口に押し込んで薬を飲む。即効用の解熱剤の座薬もお尻に押し込んだ。上から下から攻撃だ。ああ(≧≦)座薬をお尻に入れたときの不思議な異物の侵入感!喜んでるんじゃないぞ。たまらなく変な気分だってこと。 今日は準備運動も発声練習も極端に軽く済ませて本番に向かう。水谷さんが心配そうに私を見ている。「淋しい都」の時は腰痛で、今回は風邪で心配をかけてしまった。申し訳ない。楽屋ではほとんど会話に参加せずに、いざ本番。 第1場。立っているだけで冷や汗がダラダラ出てきた。直立すると立ちくらみしそうなので、ことあるごとに何かに手をもたれたりしてごまかした。 第2場。出番が少ないので何とかなる。 そして問題なのは次のショータイム、左の写真ののボディビルショーだ(これは石井の「筋肉の極北」というナレーションにポーズを合わせたところ。なんか筋肉があるようにも見えるから不思議だ。照明さんありがとう!)。心配なのはショーの前に、海パン一丁の寒々しい状態で全身にオイルをベタベタと塗られる時間だ。オイル塗り係の長谷川くんもポンちゃんも今日はいつも以上に気を使ってくれいるのが充分伝わる。 ※ちょっと余談。今回のボディビルショーのオイル塗りはかなり手間がかかっている。塗るのも落とすのも、私を含めて皆さんの衣装の早や替えタイムに重なっているので、舞台効果のためにも、衣装を汚さないためにも、迅速かつ丁寧が要求されていた。 特に落とす時は用意万端である。まず乾いたタオルで私を含めた3人で全身のオイルを拭き取る。次に洗剤を含んだタオル、さらにお湯で浸したタオルで洗剤を拭き取り、最後に乾いたタオルで仕上げである。合計12本のタオルを毎回使っていたことになる。しかも体が冷えないように毎回タオルお湯で温めてくれていた。ありがとう!オイルについてはこんな話もあった。 ある日、それまでは常温でお肌にひんやりしていたベビーオイルが暖かい。あれっと思ったら長谷川くんがニヤリとした顔で「秀吉が懐で温めておきました」と言った。なかなか憎い心配りである。優しさもギャグのセンスも嬉しかったが、「それを言うなら、秀吉じゃなてく、藤吉朗だな」と正しい情報も指摘しておいた。因みに長谷川くんは以前は正真正銘のホストで、今回も今風の言葉遣いや態度などで色々指導もしてくれた。現在は我々の稽古の代役を率先してやったり、役者として羽ばたこうとしている。 さて今日のオイルはやっぱりいつもより暖かめにしてくれていた。ここまで気を使ってくれているのだ。出番までの待ち時間は気合いで耐えてスタンバイである。 ショータイムのオンステージ。途中でぶっ倒れたらどうしようかと思っていたが、予想以上に受けて舞台から降りた。ラッパ屋の木村くんの言葉によれば「今日のボディビルショーは、顔に精気がないのに体に気合いが入っているアンバランスさ加減が妙におかしかった」とのこと。 さて、本番は無事乗り切ったが、カーテンコールの喋りで急に鼻が詰まって声が変になった。すかさず石井に突っ込まれて、笑いで納まり幕。 終演後、再び同じ病院で点滴。その後、今日の送り迎えをしてくれた自動車整備業社長の内海さんと苫小牧名物の味噌カレーラーメンを食べに行く。体力のためにも、体を温めるためにも嬉しい食料補給だ。内海さんありがとう! ホテルに直行して毛布を追加した布団に潜り込む。明日には治っていてほしい。 6月4日 8時起床。残念ながらまだ体と頭が重い。8時半に病院に料金の支払いに行く。受付開始前の病院は、噂に聞いた通りちょっとしたラッシュである。それもお年寄りのラッシュ。仕方のないことなのだろう。ここでは嫁さんのアドバイスで持ってきた健康保険証のコピーのお陰で、あまり手間取らずに、しかも安くて済んだ。 一度ホテルに戻る。出発前にお粥の朝食を食べに行く。菅原、朝倉、新納が昨夜の飲み会の話しで盛り上がっていた。そこへ渡辺哲さんが厳かに登場。急にレストランのウェイトレスに『おはようございます』と深々と礼をした。態度にはなんとなく威厳があるのだが、やってることは酔っ払いの行動そのものだ。ダメになった王様とでも形容しておこうか。とにかく可笑しい。 10時バス出発。次の目的地は苫前町。苫小牧から北の方向へ3時間半の移動。私は今日もぐったりとしていた。2時間後ぐらいにトイレ休憩。気づいたらまた全身汗ばんではいたが、どことなく体が軽くなっている。頭もはっきりしてきた。バスから降りたら見るからにのどかな場所だった。草むらの中に線路が一本走り、その向こうに無人の駅が見える。看板には「ほろぬか」と書いてあった。誰かが草笛を吹く音がした。こんな芸当をしてくれたのは三田村さんと朝倉だった。なんか陽光溢れる田舎の春って感じである。菅原が林の中から聞こえてくる虫の声に耳を傾けている。こんな季節だが、どうやら蝉、つまりハルゼミの鳴き声らしい。思わず”うーん”と伸びをしたくなる気候の中で記念写真一枚。 出演者全員と近藤マネージャー。てことは今日の移動メンバー全員。バスの運転手さんがシャッターを押してくれたんだな。 これも余談だが、視野の広いバスのフロントガラスは走行中にぶつかってきた虫の死骸でいっぱいになっていた。北海道らしいのだろう。 さらにバスは走って海岸通りに出る。冷たそうな北の海。漁師小屋もたくさん見える。中には鰊の見張り小屋らしきものも混じる。三叉路の信号で網を張る漁師の人形がぶら下がっていたのには笑った。信号機の横に黒いウェットスーツを着た等身大の漁師人形が2体、投網のような網を投げた込んだ形で3メートルぐらい頭上に設置されているのである。どういうセンスだか分からないが無気味でもあり可笑しくもあり。 苫前町に近づくと、右図のような風力発電のプロペラがいくつも回っていた。一年中強く吹いている海風を利用して、こんなプロペラが数十基あるらしい。 バスは右折して田植えを終えたばかりの農道を走り、苫前町公民館に着く。申し訳ないが思ったより充分きれいな公民館だった。ロビーに風力発電のことやら苫前町をアピールしたパンフレットが並んでいる。この日は写真展も展示されていた。 楽屋に行くと、ここでもおいしそうな手作りのおにぎりと料理の準備がしてあり、一同喜んで頬張る。今日は全員同室の畳の和室楽屋。そういえば麻乃さんは旅が始まってからほとんど我々男性と楽屋が一緒だ。別に文句を言うでもなく、というより実に楽しそうだ。宝塚出身とは思えないフレンドリーな人だ。 地元のお客さんが続々と車で詰めかけ7時開演。反応も良い。「グラディエーター」もウケた。どうやら若いお客さんが多いようだった。ボディビルショーも好評。私の体調も戻ってきた。楽屋と舞台が遠かったという一点を除けば、ほぼ完璧に幕が下りる。楽しそうなお客様に見送られながら帰りのバスに乗る。帰りは・・・電灯がほとんど無くて真っ暗だったので何も書きようがない。ただ寝た。 この日の宿泊は留萌。昼間の空き時間に町をリサーチした人もいたようだ。明日早朝の行動を三田村さんが手配師のように指示している。 食事と飲みを兼ねて地元の人お奨めの居酒屋「将軍」(留萌市錦町1丁目)に行く。元気が出てきた私も行く。ここが大正解だった。何しろ美味い上に安い。イクラたっぷりのイクラ丼¥800。つぶ貝のつぼ焼き¥400。後は値段を忘れたが東京の半額近い。ホッケも脂が乗って格別。アスパラはこの時期は最高。ホタテも他の刺身も美味かった。三田村さんが”これが北海道なんだ”みたいな誇らしげな顔をしていた。 私は熱燗で体を温めて、今日も毛布も多めにして寝た。 6月5日 朝8時、三田村さんの指示に従って留萌の名勝地”黄金岬”へ行く。 黄金岬では、雪の残る暑寒別岳が海に映える。これはちょっとない風景だろう。木村くんと麻乃さんとの3ショット。 この写真じゃよく分からないか?とにかく雄大できれいだったんだよ! この後、磯場でカニ釣りをしばし楽しむ。イカの餌で誘き出し、ツメに挟ませるのだが、もうちょっとで海面に顔を出すところで餌を手放すので誰も釣れなかった。この誰も釣れないカニを、三田村さんは昨日10数匹捕まえていたという。野人だ!恐るべし三田村オジキ! カニと戯れた後は、岬の突端に建つその名も「黄金食堂」(0164-42-1067)で待望の朝飯だ。すでにホッケと、サクラマスの鉄板味噌焼き(サケのちゃんちゃん焼きにも似ている)でビールを飲んでいる奴もいる。朝からそんなもん飲みやがって・・・負けずに私も一杯飲む。思ったより身の柔らかい味噌焼きも、ご家庭用のジュースコップで飲むビールも美味い。すかさずイクラが大盛りで出てきた。ご飯もあるので好きなだけイクラを取って、自家製のイクラ丼の出来上がり。これはたまらなく美味い(^。^)今朝上がったばかりのイカで作ったイカそうめんも出てきた。まだ身が硬いくらいに新鮮だ。全てのメニューはここで捕れたものばかりで出来上がっている。 説明しておくが、「黄金食堂」のある黄金岬は目の前の海が漁場になっている。 左の写真で分かってほしいんだけど(^^ゞ まあ、漁場といっても、100メートル四方ぐらいの定置網があるだけで、それ以上の大きな漁はしていないらしい。何せ5〜6人いる漁師さんは65歳以上のお年寄りだけだ。我々に色々説明してくれた赤銅色の肌に染まった親分格の老人は80歳。当然後継者は、いそうもない。大きな漁をしない(出来ない?)分、現金収入も限られてしまうから後継ぎは出来にくいのだろう。ちょっと寂しい気もするが、目の前の老漁師達は元気そうだし、何より楽しそうだ。年より同士だから意見の食い違いもあるらしいが、うまいこと気ままに、うまいこと協力し合って漁をしているらしい。頑固と助け合いの両立だ。 親分漁師が80歳とは思えない身のこなしで籠に入った蛸を2匹持ってきてくれた。デカイ!私が持ち上げようとしている右の蛸は手足(?)をいっぱいに広げれば1メートル近くあるマダコだ。吸盤で籠に吸い付いてるから重いんだよ。 素晴らしい海の幸に舌鼓を打って、青空の下の青い海にもお別れをして、気持ちの良い風に吹かれながら皆で歩いてホテルまで帰る。都会にいたら味わえない気分だろうなあ。 ホテルからバスで札幌まで移動。またバス移動。3時間ほどで札幌着。ここで電車待ちのためしばらく自由行動。というところで私は忘れ物に気がついた。途中休憩したサービスエリアにカメラと文庫本をポケットに突っ込んだ上着を忘れてきた。 こりゃいかん(ーー;)すぐにサービスエリアに電話したら、落し物の届けがあったという。次の宿泊先の幕別町のホテルに宅急便で送ってもらう段取りをつけて一安心。札幌西武デパート食品売り場で(この方が市場より安かったりするんだよ、札幌の人が教えてくれたんだから)小田原の実家にお土産を送ってから、帯広行きの電車に乗った。また3時間の移動。乗り物疲れでぐったりした頃、さっきよりひどい忘れ物に気がついた。札幌駅のコインロッカーに預けた、大きな旅用のバッグを置いてきてしまった (☆-◎;)が-ん 着替えやらなにやらいっぱい詰まっている。続けざまの失態に、他の皆は”風邪で頭がボケちゃったんじゃないの”と大笑いするばかりである。帯広からコインロッカーの会社に電話して、処理をお願いする。そこで分かったことは、こういう場合は合い鍵以外では絶対にロッカーを開けてくれないことだ。まず私が鍵をロッカー会社に送る。私が申告した荷物と中身が符合した時点で送り先へ届けてもらうことになる。これが”コインロッカー忘れ物ルール旅人バージョン”だ。私の場合はもう旅中には間に合わないので東京へ送ってもらうことにした。ただ私は皆が思うほどはあまりがっくりしなかった。何故なら一番大事な荷物はショルダーバッグに入れて持って歩いていたからである。着替えは安物を買えば何とかなるさ、という訳だ。 幕別町の十勝温泉ホテルに18時頃に着く。ここも「星屑の町」の北海道公演で泊まったことがある。大きなホテルだ。 スタッフ・キャストほぼ全員で夕飯・飲み屋探しのバスツアーに行く。帯広まで行くはずだったが、バスの運転手さんが途中の札内の町に知り合いの店があるというので、主体性のない者というか、結局ほぼ全員がさして広くないその店にぎゅうぎゅう詰めになって入る。こんな時は仕切り魔三田村オジキの出番だ。本来は普通の食堂らしいので、オジキの指示のもとにメニューとは違う特別料理がどんどん注文される。予想外の大量の客に店はてんてこ舞いだ。食ったり、飲んだり、話したり、TVの中日巨人戦を見たり、ガヤガヤとした数時間だった。 ホテルに戻って私は今日も麻雀組に参加する。今日の面子は哲さん、海津さん、そして音響オペの大塚さん。隣りでもう1卓囲んでいる。さて麻雀の結果はほとんど大塚さんの一人勝ち。 口惜しいがここはスタッフに花を持たせたということにしておきましょう(><) その後何人かは温泉に入りに行ったが、風邪がぶり返すのが恐い私は今日も毛布を多めにして汗をかいて寝た。 6月6日 北海道公演も今日の幕別町で最終日。のんびり起きる。ホテルのレストランでトマトソースのパスタランチ。帯広で用事を足そうとしていたら同じような目的の新納にフロントで会い、2人で1時間に1本の巡回バスに乗る。帯広に着いてまずは銀行に寄る。2人とも麻雀の負け分の精算のためだった。その後、駅ビルでお土産を買い、着替えの荷物を忘れた私は長崎屋で滅法安いトレーナー(なんと¥500)を買う。 ここで帰りのバスの時間合わせのために食事。帯広は「豚丼」というのが名物らしい。老舗と思しき「ぱんちょう」という店を覗いてみるがあまりの混雑に断念。駅ビルの中の「はげ天」でハーフ「豚丼」を食べる。胡椒とタレが効いていて思ったよりいける。そのうち店の主人が急に話し掛けてきた。”昨日石井光三社長が食べにきたこと”&”学生時代に渋谷の道頓堀劇場でコント赤信号と杉平助のコントを見ていたこと”&”新納が東京バッテリー工場というコントグループの一員だったのも知ってること”&”明治大学出身で我々の後輩であること”などを短い間に聞く。こんなところでそんな話になるとは思わず、しばし盛り上がった。 短い帯広滞在でホテルに戻る。ホテルの隣りに「幕別町ふるさと館」なる資料館があったので見学。古代からの長い幕別町の歴史を20分で理解する。1メートルぐらいある幻の魚イトウも水槽で泳いでいた。新納は呆けたようにに展示物を眺めていた。 夕方送迎バスで移動。今日の会場は幕別町百年記念ホール。失礼ながら”この町にこんなホールが”と誰もが思うような立派なホールである。最近はこういうのが多いのである。でもいつでも問題なのはハードとソフトの関係である・・・。ま、その話は置いといて。客席数が多いので、お客様の入り具合が心配である。ところが今日は満席状態で、残り少ない当日券もまだ売れ行き好調だという。千秋楽にふさわしい公演になるといいなあ。 舞台写真より第一場。温泉の相談をしているおじさんホスト4人。哲さんとでんでんさんの格好はもちろん映画「グラディエーター」のつもり。 結局700人ぐらいの観客動員。もちろん本公演最大の動員数である。どのお芝居でも千秋楽に思うことがある。その日で、一つ一つの台詞ともお別れである。再演がない限り、基本的にはもう二度とその言葉を吐くことはない。”台詞を成仏させる”とは誰かが言った言葉だが、どうしたってその日は思い入れが少なからず違ってくる。 この日のみんなの芝居もいつになく丁寧である。私もボディビルショーでさらに気合いが入る。”こんな芸もこの先滅多にやらないだろうなあ”なんて思ったりして。この日で私が一番印象的だったのは、このお芝居の最後の台詞(私の台詞なのだが)が見事に決まったことである。勘違いばかりしているでんでんさんの役”巌ちゃん”が最後に的を得たことを言う。早期のアルツハイマーだとばかり思っていた皆が驚き、嬉しさで感極まった私が『合ってる』と搾り出す台詞。これのはまり具合が心地良かった。決してたくさんウケたということではない。その前からの全員の気持ちの張り詰め方があって、なのに”巌ちゃん”はずしたかと思いきや嬉しい誤算、その流れを受けての私の最後の台詞。これが決まったのである。もしかしたらこの台詞、楽日に初日が出たのかもしれなかった。とにかく終わりよければ全て良し!ってことで\(^。^)/ 終演後幕別町のスタッフの方々とこちらキャスト・スタッフ共に焼肉バーベキューで打ち上げ。ラムも牛も美味い。野菜も美味い。ビールも美味い。こちらでは東京で肉の”ハラミ”という部分を”サガリ”というらしいが、この”サガリ”が特に美味い。食った、飲んだ。喋った。朝倉が地元の女性を、お嬢様方からお母様方まで含めてヨイショしている。猪口才なだがエライ!私もエンジンが掛かったが酔ってもきた。 合同の1次会はお開きとなり、ホテル側が用意してくれた和室で2次会。なんか大勢いたぞ。石井が話題の中心になり色々と話していたのだが、私は酒が弱くなったのだろうか?途中で寝込んでしまった。憶えているのは私より先にとっくに新納が寝ていたこと。三田村さんもダウンしていたこと。有薗が酔っぱらって、寝ている私の足の裏を踏んでいたことなどだ。 あ、そうだ。いつもは賑やかなでんでんさんが窓辺の椅子で一人静かに飲んでいたことも思い出した。千秋楽だけに夜を肴に飲んでいたのだろうか?そんな訳ないか(^。^) 明け方目を覚ました私は、自分の部屋に戻って朝日を枕に眠った。 6月7日 ホテルの自室にて。 眼下に、川岸を新緑に覆われた途別川が真一文字に流れている。右手方向に、幕別町のきれいに揃った団地や家並みが見える。正面遠くには、あれは多分の帯広なのだろう、都市の姿が緑の平原の中に浮かんで見える。大きくパノラマ画面に広がった青空には白い雲がぽっかり、たった今、自衛隊のヘリコプターが4機飛んで行った。 ただ今午前11時20分。十勝幕別温泉ホテル緑館10階の部屋。のどかである。ここからの眺望は雄大で、やはり北海道は大きくて広いんだなと思う。 「クレ−ジーホスト・リターン」の全日程が終了した。昨夜、芝居がハネてからふと思ったのだが、芝居って集団で見る夢のような気がした。大きな喜びや小さな揉め事、苦労ややり甲斐など色々あるが、終わって目が覚めてみれば、夢のように消えてなくなる。なんだか昨日まで大騒ぎした分、今は静かな気持ちである。 どんなことでも始まれば終わる。ましてや今回の公演は東京公演の頑張りも含めて成功と呼んでいい幕切れだ。お世話になった全ての方々に感謝を込めて言おう。『ありがとう』そして『また頼むよ、いや頼みます。お願い!』(^^;) 全員で帯広空港までバス移動。途中帯広駅で札幌の実家に帰る木村くんを降ろして見送る。「元気でねー、またねー」。 空港に着いたら腹が減った。ハンバーグライスを食べた。ビールも飲んだ。おまけにオムライスも半分食べた。先に名古屋空港に向かう佃くんを見送る。「元気でねー、またねー」。佃くんからはこの日記の追加原稿ももらった。 そして我々も羽田へ向かう機上の人となった。「元気でねー、またねー」と心の中で思ったり、「当分酒も飲みたくないし、誰とも会いたくない」と思ったり、「とにかく疲れたー」であり、空の上で寝た。( ̄ー ̄)ニヤリ 舞台写真第1場。ホストクラブ「純」閉店後のミーティングの場面。私こと”健ちゃん”が親父ギャグを言って喜んでいる。 佃典彦くんからの追加の原稿 『小宮さん』 予測不可能な男。それが小宮さんだ。 北海道ツアーの初日、二日目の根室において、まるで疲れを知らない子供の様に、あるいは裸の王様の様にはしゃいでいた『小宮さん』を見て、その二日後、病に倒れ、アウシュビッツに囚われたユダヤ人の様に絶望し、衰弱しきってしまう彼の姿を誰が想像したであろうか。まるで天国と地獄。極から極への移行。もちろん我々は笑っていた。 留萌からサッポロ経由で幕別へ。サッポロでは電車を1時間半待ち。自由行動となった。病気のことなどどく吹く風ですっかり元気になった『小宮さん』と、パチンコ屋の前ですれ違った。その時のおみやげを買って意気揚々とサッポロの街を歩く姿を見て、数時間後、全ての荷物をロッカーに置き忘れ、JRの職員と珍問答を繰り返すことになるなんて誰が想像したであろうか。そもそも全ての荷物を忘れるなどということがあり得るのだろうか。まるで記憶のブラックホール。もちろん我々は笑っていた。 僕は『小宮さん』の行動を予測できない。そう言えば一人芝居をやるって聞いた時も驚いたっけ。今回の「クレージーホストリターン」でもボディビルショーをやるなんて、客も全く予想していなかったに違いない。これからも可能な限り、予測不可能な男を続けてくださいね 「クレージーホスト旅日記」完 |
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